スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

全部は叶いません〜あなたは希望をもって生きてはいけない人間です〜

せんせい攻撃

高校2年生になった。
男の、人の感情について理解するのが得意でない、若しくはそういうスタンスを持たない教師が担任になった。
ロボットみたいな喋り方の、表情の乏しい男だった。

進級後すぐに、『これまでの1年を振り返ってどうだったか』を点数化して振り返る課題を与えられた。それを元に、生徒と担任が面談をするそうだ。

私は正直に最低点をつけた。どの部分を切り取っても、良いと思える瞬間が見つけられなかったから。
担任からのフィードバック時、『なぜこんな低い点をつけているのか?これはお前がおかしい。楽しくする努力はしているのか?1年を振り返って、良い年ではなかったのは自分の責任である。勉強面での成績を下がっている。この成績では、志望校どころかそれ以下の大学にも行けない。考え直せ』と言われた。

担任就任間もない関係性もできていない頃に。いきなり先生からの先制攻撃
ハナから私が悪いと決めつけた、叱責するためだけの時間だった。
いじめの件を伝えたが、その話は流された。理解する気もないのが感じ取れた。
これじゃあ説明しても無駄だ。最初から聞く気がない人に必死になったら、こちらの負け。余計自分が傷つく。

いじめの件の申し送りがあったにせよ、なかったにせよ、理由も聞かず一方的に否定されたことは、彼への信頼感を一瞬で奪い去った

私は、これ以降、彼とまともに話すことができなくなった。
『何を言っても否定されそう、聞いてもらえなさそう。一方的に考えを押し付けられそう。』と。
関わると、傷つけられる予感しかしなかった。


根腐れ

2年に上がって早々、これ以上底はないと思っていた学校に対する気持ちには、2番底があることを思い知らされた。
その頃には、ほとんど勉強をしなくなっていた。

昨年のいじめが尾を引いていたし、担任への拒絶感も気持ちを後ろ向きにさせた。

そして、そういう大義名分が自分の中にできたので、どんどんどんどん怠惰になっていった
根まで腐って、水をやっても花は咲かないことを自分でも分かるくらいだった。

他に打ち込める趣味でもあれば救いがあったのだが、ファッション雑誌を読むか、流行りの音楽を聴くか、近所のスーパー銭湯に行くくらいしか時間を潰す術を知らなかった。

金のかからないことをして、時間を潰すしかなかった。
そう思いながらもとりあえず学校には行っていた。

高校生活の毎日は、今となっては思い出せないくらい、一日一日が退屈で、苦痛な日々だった。本当に退屈だった。

母はというと、依然物忘れが激しく、よく笑うおどけたおばさんになっていた。
その分、記憶力や思考力を要する込み入った問題について話し合うことはできなかったが、そんな話は以前から、能力的にできたとしても物理的にできなかったので、大差はなかった
私にとって、何かを話したり、相談する相手についぞやなってくれることはなかった。

だが、私と母は談笑できるようになった。高校に入ってからというもの、貧乏長屋は初めて明るい雰囲気に満ちていた。

人生、こっちが立てば、あっちが立たず。
『家庭も学校もうまくいく、少なくとも一般的とされる同い年の子程度には』という望みは、私には高すぎる望みなのだと思い知らされた。

将来のことなど考えてはいなかったが、さっさと高校卒業してしまいたかった。(続く)