スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

聞かないで、『あなたはどんな人ですか?』

大学3年生、就活、就活、就活、不況に地震

就活
先延ばし先延ばしにしていた、『やりたいこと』を明確にしなければならなかった。
しかも、自分の中で確立させるだけではなく、『会社』に向かってそれをアピールしなければならないと言う。

何それ、怖い。逃げたくてたまらない

周りや世の中の動きを見るに、何やら相当買い手市場で、就職状況は全く芳しくないとのことだった(翌年は更に酷かったようだ)。

『え、先輩たちは、好景気もあって割と良いところに就職できたと聞いていたのに・・・』

ゲラゲラ笑える日々は束の間、すぐにピンチがやってきた。
自己分析、自己分析、自己分析
学校も就活セミナーもうるさいくらい自己分析を求めてきた。

自分を掘ってみたとして、自分が底の浅い人間であることが既に見えていた。
就活を始める前から負け戦にいく気持ち、どんより。

県外の就活フェスとやらにも行った。
学歴フィルターやら、就活サイトの入学実績大学を見て、気を落とすばかりだった

『多くを望むな、足るを知れ。お前はそんなに高みには行けない。』と現実を見せつけられた。

あぁ、過去の私が努力をしていなかったばっかりに、今の私が苦しんでいる。
努力も遺伝子も全部ダメな負け組・・・

ネガティヴィティの洪水、止めどないマイナス思考の連鎖。

その中でも、田舎にいては職がないと思い、都市部で就職活動をした。数打ちゃ当たるだろうと願った。

私は昔から都会への憧れが強かった。ファッション、グルメ、摩天楼、電車、人の多さ、出会い、会社の多さ、コンサートや美術館。田舎にないもの全部があって、キラキラしていると思っていた。1年中クリスマスみたいな。

それに、ゲイにとっては田舎は住みにくかった。
田舎のゲイには結婚をしてゲイ活動をする人も多い。人口も少ないので出会いはなかった。私の知っている人は割と結婚している人が多かった。生きづら。

就職活動にこんなに金とパワーがかかるとは思っていなかった。
都会へ行くための交通費、宿泊費、食費。面接と面接の合間のカフェ代。1回の滞在で効率よく入らない説明会、面接。
説明会に行くだけで、日に日に減っていく貯金。休みが増えていくバイト。


耐え抜いて生きたことは、『頑張り』ではない

エントリーシートを書くと、自分の人生の薄っぺらさがまざまざと可視化された
人と比較されて、選ばれるためには、個性が貧弱で何もやってない。
華やかな経験が何一つなかった。
それをカバーできる学歴もなかった。かと言って、人柄で売っていこうにも、人から好かれる愛嬌も持ち合わせてない。

この商品をどうアピールすれば良いのか分からず途方に暮れた

一度悩んで、教授に『学費の工面を頑張ったこと』にできるか聞いてみたが、『そんな人はいくらでもいるし、そんなことを書くのではない』と冷静に返された。
『じゃあ何を書けば・・・』更に光が見えなくなった。
今考えれば、世の中の就活というシステムが、『苦学したこと』をアピールポイントとして到底見做さないことは重々分かる
が、私にはそれしかなかった。そんなことも分からず質問をしてしまった自分が恥ずかしくなった。

虐待されたり、毒親に苦しんだり、ヤングケアラーだったり。
孤児院で育ったり、ときには病気を患ったり、障害をもったり。
そういう自分の力ではどうしようもない、子どもの力ではどうしようもない不可抗力を頑張って耐えても生き延びても、人は、企業は、社会は、それを『頑張ってきたこと』として認めない
そんなことは頑張ったことにはカウントしない。
『勉強、運動、学外活動、海外経験、受賞歴』、金や周りのサポートを得て結実するものしか努力ではないらしい。

それを跳ね返して、運によって生まれながら裕福だったり、家庭環境が良かったりする人を超えなければ評価されない
マイナスからスタートした人間は要らない。
家庭環境が良い子女を採用します、と言う社会の遠回しな意思表示。

どうしようもない無力感。
ここで負けてはならないとはわかるが、心はへし折られた。
人は圧倒的な無力感を植え付けられると、立ち上がることができなくなる。

それでもなんとか、ゼミやバイトから学生時代に頑張ったことを絞り出して、アピールポイントとすることにした。

 

やはり現実は厳しいぜ〜貧困子どもの体験格差〜

やっぱり、面接で更に厳しい現実を知ることとなった。
特に、集団面接の場で。

周りのアピールポイントが私の比ではなく遥かに高尚で素晴らしいのだ。
『海外留学や生まれた時からの海外経験』、『子どもの頃からやっていたスポーツや芸術、音楽活動での表彰歴』、『起業や投資経験』、『NPO立上げやボランティア活動』等々枚挙にいとまがない。
それに皆、バイトやサークルのリーダーを兼務しているらしい。

今で言う『ガクチカ』、学生時代に力を入れてきたことだ。
あぁ、勝てる要素がない。

海外は当然国内旅行にも行ったことがないし、塾は辛うじてあるがそれ以外の習い事をしたことはない。金のかかることは避けてきた。

『体験格差』、最近になって名前がつけられた格差。
まさにそれだった。就活の面接で、人と差をつける華やかでよく刺さる武器は、いかに丁寧に金をかけて育てられたかに繋がっていた(もちろんそれだけなく本人の努力もあるが、傾向としては大きいと感じた)。

だがそれでもなんとか、次のステップに進める企業もあった。
しかし、アピールポイントが弱いのか、人間的に魅力がないのか、会社とのマッチ度が低いのか、悉くお祈りされた。

田舎の名の知れぬ大学の子が都会で就活をするのは、なかなか厳しかった。
地元で就活をする周りの子には徐々に内定が出始めていた。

選考が進んでは落とされ、手持ちを増やしては減るにつれ、どんどん自分が否定されているような気がして、心が落ち込んできた

それでも笑顔を作って面接を受け続けた。
第一志望の会社の最終面接では、薄汚れたメガネの人事が『今年は例年はウチを受けない⚫︎大や⚫︎大の人も受けてるけど、君何か勝てるところある?』と嫌味に聞かれた。

よくある圧迫面接だとは思うが、無い見栄は張れず。
心折れかけていた私は『勝てるところはないとは思いますが、一生懸命勝てるよう頑張ります』としか言えなかった。

もちろん落ちた。

自尊心はすり減り、貯金も減ったころ、ある会社が拾ってくれた。有難い。

大企業のグループ会社だった。
捨てる神あれば、拾う神あり

私は田舎から出られる切符を手に入れた。
友達にも就職のために留年する子もいた。私にはそれはできない状況だった。


関心を見つける力欠如、卒論

大学4年生。
大学4年生の春以降、地獄の就活からようやく解放され、ゼミやバイトの友達と遊んだ。
卒業旅行にも行った。海外旅行に行く友達もいたが、金銭的に難しかったので、私が行く旅行は国内にしてもらった。

卒業論文
あなたは何に関心があり、何をどう調べますか?と問われる
就活に続き、私が問われる。テーマを決めるのが辛くて、焦りばかりを感じていた。
小中学校の自由学習の発展系。苦手だ。

自発的に、私のどこかから、好奇心や興味の泉が湧いてくることはなかった
就職活動で味わった敗北感や劣等感は正しかった。社会で求められているとされる、自発性や創造性が私には圧倒的に足りていなかった。欠如していた。

これは、幼い頃から『欲しいものを欲しい』と言わない、言えない状況で生きてきたから、自分が好きなもの、欲しいものが自分でよく分からなくなってしまった弊害だと思う。

『あなたはどうしたい?』『あなたはどんな人?』は問われると怖い
どうしたくとも、どんな人でありたくとも、その意思が届くことはなかった。
ただ辛いことが早く過ぎ去ればいいと思いながら、我慢してればいいと思って生きてきたから。

とは言え、卒論を提出しないと折角決まった就職がワヤになるので、卒業するためにも絞り出したのが、就職する業界に関する研究だった。

大学に入って、ほぼ初めての調べもの。研究とは言えないレベルの。
4年間通して、私は大学を『自分で進んで学ぶ』と言うよりも『就職するためのライセンス』としか認識できていなかった。

大卒資格という目的は達成したが、薄っぺらい私しか出来上がっていなかった。

就職先から配属先の希望を聞かれた
どこか地方に配属かと思ったが、東京を希望した。
本社は東京。大きなクライアントは東京に集中、若い内から高度な案件に携われるようになりたい、とかそういった新人が考えそうなことを並べてお願いしてみた。
希望が通った。

本当は会社が決めた配属先でいい、と答えるつもりだった。
が、知り合いから『絶対東京がいい、東京と答えておけ』と強くプッシュされたので東京を目指した。
本当は大阪や東京といった大都市で働きたかった。だから嬉しかった。
一人で考えて決めていたら、自分の希望を伝えることなんてしなかっただろう。

『私なんかが、希望を言って言い訳がない。もっと優秀な同期がまず希望を叶えられた方がいいに決まってる』なんて、自分を押し殺しただろう。


未曾有の大惨事

大学卒業から東京へ行くまでの間、実家に戻っていた。
学生寮から逃げて、急ごしらえした狭い部屋ともお別れ。
実家でテレビを見ていると、緊急地震速報が流れた。
離れた東北で今まで聞いたことない規模の地震が起きた。皆騒然とした。遠く離れた地元まで津波の警報が来ていた。

次第に情報が集まり始め、映画のワンシーンのような恐ろしい映像がテレビで流れ続けた。余震も絶えず続いている。

聞いたことのない数の被害者がいる。テレビを見るに原発にも影響があるらしい。
東日本全域で物資が足りず、電力も逼迫している。パニックだと。

東京に向けて既に送っていた荷物もちゃんと届くかどうか怪しいらしい。これから東京に出ていくのに大丈夫かな、どうなるんだろう、ということばかり頭に浮かんだ。

東京に出る頃には、東京には水が売っていないという話になっていた。
怖さもあったが、社会人生活への期待もあった。
ヤバそうな状況の中、私は東京へ向かった。(続く)