スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

恩人の救済〜Le salut de l'âme〜

感謝〜Merci mille fois〜

今で言うところのネグレクト、ヤングケアラー気味だった私の幼少期。
私は母方の親戚(以下、『Aさん』という)によく面倒を見てもらっていた

Aさんは、母が一切手をつけなかった私の学校周りの面倒も、愚母に代わり手続きしてくれた。
小学校中学年以降、土日のどちらかは私の相手をしてくれた。
母と私の中が絶望的だった時期も、Aさんだけは私の味方をしてくれた。
私が大学に入学する際に、雀の涙の給料を貯めて当座の生活費を渡してくれたりもした。
その人がいなければ、私は今、生き繋いでいなかったかもしれない。

感謝

部分的とは言え、子どもの面倒を見ることは骨が折れること。
それは子どもながらに理解していた。
Aさんには反発したり、わがままを言ったり、甘えたりすることはしないようにしていた。
それに、Aさんと私は共感するポイントや、やや内向的で臆病なところが少し似ていた。
だから余り無理を言いたいとも思わず、年の離れた友達のように自然に接することができた。

Aさんも同情や大人としての責任感だけでなく、性格の似ている部分や相性の良さもあり、私を可愛がってくれたのかもしれない。

Merci mille fois, grâce à toi.

手紙〜Les lettres〜

Aさんは、今でも私のことを気にかけてくれている。
晴れて親というストレッサーから離れひとり暮らしを始めても、社会人になっても、無職になっても、しばしば『元気にやれ、幸せを祈る』という内容の手紙をくれる。

お世話になった人からの気遣いの手紙。
優しさ、思い遣り。自筆でしたためた手紙には想いが込もっている。

状況〜La situation de la personne〜

嬉しいはず、喜ぶべきなのだが、手紙を読んだ後、素直に心が温まらない私がいる。

それは手紙の内容が、私の幸せを願いつつも自身に降りかかる不幸を嘆くものだから。
私は今はとても辛い、不幸だ。だが、お前は幸せになりなさい。』と綴られる手紙。

読後、心に残る一服の憐憫
Aさんの状況を知る私には、そういう風にしか受け取れないメッセージ。

Aさんを苦しめる原因は、大きく4つ。

Aさんはここ十数年、働いていない
。身体的、精神的な健康状況を理由として。
生まれてこの方実家暮らし、高齢の片親と。
結婚はしておらず、友達付き合いもない
。 
更に、最近は健康上の不具合が見つかり、物理的に家に、精神的に内に篭り続けている。天の岩戸から出てくる気配がない。

1点目:仕事
Aさん自身も歳を重ね、何か新しいことを始めたり、チャレンジしようとしても世間から受け入れてもらえないのも事実。
もう先が見えない。
私だって、30代中盤になり『未経験で何かを始めたいです!』と目を輝かせて叫んだところで、虚しく響くだけだと実感している。
この仕事の溢れるTokyoですらそうなのだから、何にもない田舎で、ツテも経験もないその人はもっと打ちひしがれるのは理解できる話だ。只々恐ろしい。

2点目:頼っている精神的支えである親
Aさんの親も年々歳を取っていき、百まで生きるとしても、あと十年そこそこ。
頭はしっかりしているとは言え、身体は当然衰える。
やがてくる老々介護も将来に暗く想い影を落とす。
そのことも、Aさんを不安へと不安へと駆り立てる。より臆病に、臆病に。

3点目:家族以外の社会
内気なところもあり、自ら進んで外に出ていくタイプでもない。
働いていないので会社での人付き合いはない。
色々な引け目もあり人と接したくもならないのだろう、友達もいない。
結婚していないということも自分自身のプライドが許さない。
客観性を持つ、外部から情報をくれる話相手もいない。
世界は家族、家族は唯一の世界。

4点目:身体の不具合
ここ最近は加齢もあり、身体の調子が悪いことが多い。
元々病院嫌い。
身体の不調は怖い、だがその原因を知るのも怖いし、病院も怖い。
回復しない体調と、『死んでしまうかもしれない』という不安。
合わせて『どうして私ばかりこんな目に』という堂々巡りのアイデア
身体も心も不具合を起こし始めてドツボにハマっている。

それが今の状況。

過去〜Le passé〜

私が知っている範囲での、Aさんの過去。
全然知らないトラウマの根っこがもしかしたらあるのかもしれないけれど。

Aさんは兄弟姉妹が多く、子育てに追われる親を見ながら、破天荒に生きるきょうだいを見ながら、そんな風にならないよう、我がふり直そうと臆病ながら地道に生きてきた。

だからなのか、
Aさんの親が言うに、『あの子は昔から何も欲しがらない、今も何か買ってあげようと言っても、要らないと断る。』そんな幼少期だったらしい。
親としてなんだか歯痒そうに語っていた。

恋愛経験は少ないようだった。過去にはいい話もあったようだが。
ただ断片的な話を聞くに、親や破天荒なきょうだいと言った家族の問題などもなり、結実しなかった可能性がある。
諦めざるを得なかったのかもしれない。

仕事はというと、就職して真面目に働いていた会社が潰れたり、事業縮小でリストラされた経験が数回ある。
運によって翻弄され、自分自身が真面目に働いてもどうにもならず、段々と心を折られていった。
側から見ていても、可哀想だ。不運。

視野狭窄〜La vision tunnel〜

バッドラックが続いてしまったとしか言いようのない過去。
病気や老化により思い通りにならなくなる身体。
歳を重ねるにつれて新しいものへの適応が難しくなる頭。
世界は家族だけ、外界からの刺激をシャットダウン。
運の悪さが続き薄れていく気力。
幼少期から身につけた我慢強さにより消失した自分の欲望。

今現在、Aさんの生活は、
他人と接さず、頭も身体も使う機会がないが時間は有り余っている状況。
そんな余暇にぐるぐると『自分自身に降りかかる不幸』若しく『ぼんやりとした幸せ』について考え続けた。

その結果、Aさんは『周りは誰も私を助けてくれない』と絶望し、外界との接続を遮断した。
そうして、人の言葉に耳を傾ける力を失った
昔は割と話が通じた私の言葉ももう届かない。

ここ十年ばかり、手紙でも口頭でも『私は不幸だ、幸せになりたい、辛いことが多い、病気になり辛い、お前は幸せになれ』としか言わなくなった。
もう猪突猛進で視野狭窄な状態。危険域。

私の幸せを願ってくれていることに疑いの余地はない。
だが、それ以上に『私は不幸だ、私は辛い、私に怖い、私は、私は、私は、、、』という禍々しい怨念にも似た想いがそこにある。

そしてそれがAさんの手紙の本旨だ、確実に。

拒絶〜Le rejet〜

他者や外界を拒絶し、『辛い、悲しいという地獄』に引き篭もってしまってから、
他者からあーだこーだアドバイスされても、それが第三者から聞いて的確であっても、A Aさんは『五月蝿い』と怒るか、泣いてしまって他者を寄せ付けないようになった。

こうなってしまうと、もう親族誰も何も言わない。
Aさんは『腫れ物』になってしまった
怒らせたら、泣かせたら面倒だから、触らぬ神に祟りなし。
一緒に住んでいる年老いた親も、Aさんのきょうだいも。

私は思う。
Aさんは、段々と『不幸が板についてきた』な、と。
それは世話をしてもらった私とすると、とても残念で、どうにかしてあげたい問題。
だが、Aさんは、『私は不幸である』と自分に言い聞かせ、ハッピーじゃない私が心地いいのだからどうしようもない。
自分が不幸だと信じ続けた故に、自らの不幸を嘆いている状態が心地良くなっている外観に自ら気付かない
浸りたいのだ、もっと目を向けたくない何かがあるのだ、きっと。

共感〜L’empathie〜

自分が何が欲しいか、何をしたいか、何が好きで何が嫌いか、幼い時から主張せずに、意思を我慢してきた人間。
自分で選んだ訳ではない、運の悪さにしてやられ、無気力になっていった人間。

私にも思い当たる節がある。それに近い人生だったから。
欲しいと望んでも貧乏、やりたい放題やっても結局周りに迷惑をかけるし、結局自分に跳ね返ってくる。
何もできない。

そう考える内に自分に価値があると思えなくなり、本質的に好きなものが見えなくなって、そのうち自分の内側には何もなくなってくる。

そう言えば、Aさんはよく『欲しいものは何もない、やりたいこともない』と遠い目をしながら呟いていた。
環境や運が悪いばかりに、努力の仕方が分からなかった/報われなかったばかりに、虚無になった。
へし折られ過ぎて、自分の意思が磨耗して消えた。

少しばかり気弱で、だが優しいが故、他人を投げ捨てて自由気ままに生きてこれなかった人だから。

私がAさんに何かプレゼントをあげようとしても『自分だけ貰って悪い』とよく言う。
宝くじが当たったらどうするかと聞いたときも『自分だけじゃ悪いから、親やきょうだいも色々助けてあげたい』と寂しそうな顔をしながら言う。

自分のことを一番に考えていない、そういう印象。
それは昔からずーっと、自分を殺して我慢してきたから、身体に染みついた悪癖
自分ファーストができない、欲望を解放する許可ができていない。

変化〜le changement〜

言葉でも、行動でも、何をどうしても、人を変えることはできない
そんなのは、私が愚母を変えられなかった経験からよーく学んだ。
人が人を変えるのは無理、自分で変える、それか理由なく勝手に突如変わるだけ

きっと、Aさんは、今直近で悩んでいる身体の不具合が治ったとしても、そのラッキーさには目を向けず、別の自分のアンラッキーを拾いに走るだろう。

そうやって集めたアンラッキーに没頭することで、何から逃げたいのだろう?
何を恐れて、何を拒絶したいのだろう?

私も、歯を食いしばって生きた幼少期を、大切な宝箱のように扱っている節がある。
嫌で嫌で堪らない癖に、大切に。大切な不幸。
しかも、その悲劇を抱きしめ続けても光差す出口に向かわないと知りながらも、他人からそう指摘されると『お前に何が分かるんだ、軽い口聞きやがって!』と怒りが湧いてくる。

辛いから、恥ずかしいからと人に打ち明けずにひっそりと、しかも、しっかりと握り締め続けていればいるほど、プレシャスな宝物に感じてしまう。
錯覚なのに。後生大事に取ってないで、白日の下に晒せば肩の荷が降りて楽になるのに。

そこに気づくには、自分を俯瞰して見るやや冷淡な目線が必要なのに。
まだ、Aさんは自分の不幸に没頭し続け、精神と肉体をすり減らしている。

救済〜Le salut de l'âme〜

私は、Aさんに毎日気楽に生きてほしいと願う。これからの人生、まだ長い。
別に労働の喜びや、恋愛のときめき、贅沢での優越、社会的価値をどうこう考えなくてもいい。

過去とか、将来とか、もう要らない。目の前の生活に集中するだけでいい
体調が良くなり、ご飯を食べてよく眠る、後は笑えることがあればそれで良いと思う。
それが、魂の救済じゃなかろうか。

運が味方せず悪いカードを引き続け、落ち込み、足元に咲く花が見えない。
なぜって、自身のキャパを超えて我慢し尽くし、自分の希望や意思が分からなくなり、自分自身が喜ぶことをする許可を自分に与えることができなくなっているから。
これまでも、これからもしたくない我慢が死ぬまで続くと勘違いし、不幸しか考えられなくなっているから。

私は、自分自身に言い聞かすように、Aさんに伝えたい。占い師のように。
まず、その状況はあなたのせいではない
けど、あなたは不幸に浸っているのも事実

あなたは、あなたの不幸に没頭し過ぎて周りが、自分が、よく見えていません。
不幸が怖い癖に、怖くて防ぎたいがために、暗闇ばかり目を凝らして見つめています。
遂には、そこにはないものまで見えると言い始める始末。
もはや妄想。

そんなあなたの斜め上に、メタなあなたが現れることを祈ります。
ふと我に返ってみてください。

メタなあなたは、あなたに厳しいツッコミを入れてくれます。
お前が見つめるべきは、過去の出来事や未来の不安なんかじゃなく、今だけ。起きてもない嫌なこと想像してメソメソしてんの時間の無駄だよ』と。

なるほど〜Je me suis rendu compte〜

そしてこの日記を書いていて気付いた。
私は母だけでなく、お世話になったAさんのケアをも、無意識のうちにしていたのだと。
そうだ、幼い頃からずっと、Aさんは自身の不幸を嘆いていた。ここ数年はもっと悪化しているけれど。

悲痛な、辛い辛いという手紙を、言葉を、Aさんは私にしかぶつけられない。
他の親族は相手にしない/理解できないから。
年老いた親に言い続けるのもAさん自身も辛いから。

私は、ときに励ましたり、一緒に嘆いたり、冷静な対処法を伝えたりしていた。
解決策のようなものを提示すると、『あなたは冷たい、そうは言うけど』などとピシャリと心のドアを閉められることもあった。

私にできることは限られている、し、ただ意見を言わずに話を聞き続ける訳にもいかない。
Aさんの嘆きを聞き続けると、こちらも嘆きの海に溺れてしまい、共倒れ。

私にできることは、ただ祈り。非科学的だが。
メタな自分を生み出すきっかけになる縁や、偶然の運をどうか手にしてほしい。
縁や運からくるチャンスを、その前髪をどうか勇気を持って掴みますように、と。(続く)

全部、運

突然の連絡

久方ぶりの連絡、下のきょうだいから。
ラインだけは数年前にかろうじて知ることができたレベルの繋がり。
私には、二人きょうだいがいる。上のきょうだい、と、下のきょうだい。

オール異父。

長らく没交渉だった人からの連絡は、大抵何か臭うもの。

コンタクトの本旨は、やはり『最近どう?』とかではなかった。

下のきょうだいの父親が不慮の事故で数ヶ月前に亡くなった』、ということだった。
私の父ではないが、幼少期に数年間お世話になった方。

義父は真面目に休まず働き続けた人。
血のつながりのない私にも優しく接してくれた記憶が蘇る。
しばしば彼の職場にも連れて行ってもらった。
昔誕生日プレゼントに貰ったビデオも覚えている。ディズニーのファンタジア。

揉め事は嫌いで、仕事熱心だった人。
その優しさで、私を孤児院から引き取る契機となってくれた。

ありがとうございます。
どうか天国で安らかに、そして勝手なお願いですが、下のきょうだいを天国から守ってあげてください。

世の中不公平だ、なんでだ

なんで?
なぜ、真面目に生きる善人が不慮の事故で天に召されなければならないのだ?
悪人が蔓延る世の中で、なぜ彼?
真面目に頑張って生きるとは?
人にも優しかった、悪いことをする人ではなかったのに、なぜ?

神様とか、仏様とか、そーゆーのいるのか?
いるとしたらなんでだ、いないとしてもなんでだ。
救いがない。こんなのおかしい。

父子家庭の二人暮らし。
下のきょうだいと義父は、親子支え合って生きていたはず、なのに。
意味が分からない。

亡くなった原因は、誰を責めることもできない最悪なアクシデント。

因果とか意味なんてなく、只の運

責めるべき誰かがいないことで、より辛さが増す。
ずっと答えのない『なんで』を繰り返し、悲しみでいっぱいになる。

前世や現世での行いとか、
なんらかの因果とか、
起こったことの意味とか、
天罰とか功徳とか、
そんなもん何にもないんだな、と世の中の理が見えた

起きた事象への意味づけは、納得したい人間が勝手に後付けするもの。

じゃあ、善い人間に不慮のアクシンデントが起きた場合に、後付けできる意味はあるのか?

ない。そんなもん、一切ない

身近なところで言うと、
私の生まれてからの生い立ちや苦しみ、
世の中広いところで見ると、
病気になったり、苦しい思いをしている人、
逆に成功している人。
人人人。それぞれの人生。

それって、因果とか功徳とか、努力とかそんなんじゃなく、『たまたまの運』でしょ。
その状況に至るまでになんらかの意思や思惑、それぞれのストーリーがあるけれど、
それは最初からそうなるように運で決まってる。
どの遺伝子、どの時代、どの親、どの環境、どの仲間、どの能力、どの選択etcetc...

何かを得たとき、人はそれを自分の努力と思いたがるし、
何かを失ったとき、人はそれを何かの因果だと考えたがる。
でも、そのすべてに意味なんてない

運命

恨んでも、努力しても、神にすがっても、どうにも抗えないやつ。

運だ、運命だからと言って、義父の死に対する悲しみや、
下のきょうだいの不安、辛さ、悲しさがなくなる訳ではない。
生きる上で努力したり、運命に争うなということでもない。
人生には『どうしようもない運』があると言うこと、ただ、それだけ。

Q:人は人に対して何ができるか?
A:基本何もできない、ほとんどはエゴ

私もどうしていいか分からない気持ちだが、共に暮らす家族を失った下のきょうだいはもっと感情の整理がつかないだろう。
呆然、言葉も出ない、整理もつかないと思う。
辛い気持ちを抑えながら、感情を殺しながら私に連絡をくれた。

『父が亡くなった実感が湧かない』下のきょうだいはそう言った。

かける言葉が見つからない、という言葉が初めて理解できた。

『何かできることがあったら言って、後話したくなったら話は聞く』と言ってみたものの。
長く離れて暮らし、自分のこともままならない無力な私に何ができると言うのだろうか。
情けないな、自分。改めて、いざと言うときにしっかりしてない私。

それに、きっと話を聞いてあげても、同じ気持ちになってあげることもできない。
辛いことをなかったことにしてあげることも。
できるなら、全部なかったことにしてあげたい。

一番困っている人に、他人がしてあげられることは何一つない。

できることは何もない
ただ、気にかけている人がいると言うことは知っていてほしい。
解決にもならず、それはこちら側のエゴと分かりつつも

良いのか、悪いのか判断はつかなかったが、
私は上のきょうだいが丁度地元に帰るのと言う情報を聞き、
下のきょうだいと上のきょうだいが数十年ぶりに会えないかと画策をした。  

(私と上のきょうだいは、育った場所は違うが連絡は取り合う中だ。)

そしてその流れで、私たちの共通の母に繋がればそれはそれで良いな、と。

下のきょうだいは乗り気ではなかったが、一人にしておきたくはなかった
世界で父以外にも血が繋がった人間がいるのだと知って欲しかった。
何年も話してなくて、一緒に育ってなくても。
母はまともに込み入った話ができず、頼りにならなくても。

縁はあるはず

上のきょうだいは下のきょうだいに起きた不幸は知らなかったが、
面倒見が良い、優しい性格なので快く引き受けてくれた。

私自身が飛んで帰るわけでも、
下のきょうだいが望んでいることでもない、
良い効果を生むかどうかも分からないことだったが、お節介を焼いた

ただ、それを提案して受け入れるかどうかは、下のきょうだいに委ねた。
本人の気持ちは一番に尊重されるべきだ。
無理強いしても良いことはない。お互い大人だ。

結果としては、疎遠だった母とも会うことができ、少しは距離が縮まった。
また定期的に集まることはできそうだった。
上のきょうだいの図らいに感謝。

誰かを悼むとき、誰かが辛いとき、その事実には気づくが手を差し伸べることはできない。
何かしてあげたい、してあげなきゃと思うことすら、エゴかもしれない。
救い出すことは尚更無理。

神や仏はいない、人生は運だ、と分かりながらも、
私は、下のきょうだいの心の平穏を、これからの幸せをただ神に祈っている。(続く)

無職とchocoZAP〜合言葉はM.O.V.E.〜

思うより直感を信じていい

転職先の環境が信じていたのと違って、くらう。
早々に背水の陣。
その片鱗は面接の度に感じていたのだが、後がない30代。ただ目を瞑った。

今思うと、私の直感は正しかった
転職活動を終えて安息の地を目指す私は、会社に感じる違和感、アレコレを勝手に合理化して自分を騙した。

結局、職場でまともに仕事の話ができる人もおらず、身体を壊すしで短期離職。
まぁ、会社ばかりが悪いとは思わない。
いい会社だとは認める。
ただ、就職は恋人や友達選びに似たり。That’s”相性”。Only それ。

ん〜、どうすんのよこれから。

30半ばでこの学歴、この職歴だとほんと救いがないよ、もうどこも雇ってくれないよ

崩れた体調は退職後、すぐに快方へ。
良かった、ずっと尾を引く病気にならなくて。最終的には運はいいのかも。感謝。

無職には金がかかるもので、、、

コツコツ溜めた貯金。
積立ニーサ投資信託
利益を信じた持株会。
切り崩しながら、生き繋いでみる。

バイトもせず無収入。
不安ではある、路上生活確定、路確。

年金は申請免除。
国保は10回の分割納付。
住民税はまけてくれないので渋々ペイ。
全部スマホでポチッと。
(お金取る方法は便利に便利に進化してんのね。)

税金関係高過ぎ。
外人、老人、権利系に優しくて、普通の無職に厳しい日本。
あぁ、義務だったね、勤労。

ご飯はスーパーで半額ハンティング。
半額になる時間は22時過ぎ。
なかなかご飯にありつけない。
浅ましいとは言わないで。
生活の知恵、ライフハック。スーパーとも持ちつ持たれつな、はず。

家賃、ライフライン、食費、交際費、税金、ペイペイペイ。

生きるって、即ち、お金を支払う事

デブ、痩せる、ジム、通う〜ChocoZAP〜

社会人になってから15kg肥えた。
手足が細く腹が出た醜男。
金を稼ぐために、金をかけて太っていく。

運動経験はそもそもなく、集団スポーツは苦手。
かといって、一人黙々と走るマラソンは大嫌い。

運動は親の仇。
わざわざしんどいことをするのに時間や金もかけるのが理解できなかった。

ゲイのほとんどが、男にチヤホヤされたいがためにジムに通っているのだが、私はそういう人を冷たい目で見ていた。

でも、無職。
ずっとやることもなく、趣味もなく暇なのである。

仕事を辞めてから3ヶ月、体重計に乗ると勝手に3kg痩せていた。

『ストレスなくなると痩せるのかも、暇だしこれは追い風。天啓。』

なので、ついに重い腰をあげジムに行くことにした
通いたいジムの条件。
筋トレガチ勢がいない、会費が高くない、人目が気にならない。

そう『チョコザップ』。
流行り始めたチョコザップ。

マシンも初心者向け、ジジババおじおばビギナーばっかり。
あぁ、私にピッタリ。月会費安いし、これなら通える。

そこから毎日通った。
夏場は、ジムに行った後に歩いてプールでも泳いだ。
それら加えて毎日散歩。
2時間以上はダラダラ歩いた。

食事もオートミール
別に巷で言われるほど食べにくいものではなかった。
舌、超えてなくてよかった。

そうすると半年くらいで10kg痩せた。
ぽっこりお腹がスッキリお腹に。
服のシルエットが綺麗になって、飛び跳ねて喜んだ。

そして思い知った。
痩せるには、
時間の余裕が必要だと。
正直無職でもないと、ジムに行ったり、散歩したり、食事に気を使ったりするのは難しい。
それに、働いてストレスを受けづつけると時間も狂うし、暴飲暴食しちゃう。
人付き合いもあるしね。

これからの課題は、理想の体重をキープする問題。
スリムサステナビリティ
働き始めても、私はこのダイエットを成功させ続けたい。
折角金と時間をかけて痩せたんだから、もう太らない。決めた。

運動(身体疲労)は精神安定剤

運動して身体が疲れると、『疲れたー、お風呂入ってご飯食べよ』しか考えられない。
昔あった変えられないヤな事も、まだ起きてない不安事もその間は考えなくていい。

ネガティブになるときは『現在に集中しましょう』と人から言われたことがある。
『意味わかんねーこと言ってるな』と内心悪態をついた。
が、しかし、運動してヒーヒー言ってみたら理解ができた気がした。

なるほどね。
身体は元気で頭は回ってる状態、いわゆる暇な時間に余計なこと考えるのね。人間。

過労で不眠とかってハードな疲労はもちろんNG、けど身体動かしての疲労はOKなのね。
運動を通らない人生だったから全然知らなかったわ。知れてよかった。

ネガティブダークサイドに落ちそうになったらそれは暇ってこと。多分。
人間だって動物。『動いて、食べて、寝る』なのね。
知的なものだと驕って、頭ばっかりで考えてちゃ、本質見失うわ。

なるなる、合言葉はMOVE。きっと。(続く)

人と比べられるものに幸せなんてない

ふと目に入った情報に心乱される:共感から乱心へ

無職も1年を過ぎた2024年のGW、いつものように自分には直接関係のない世の中のあーだこーだを集めるべくX(旧Twitter)をパトロール

雑多な情報の中、生活保護世帯から東大院を卒業し学者になった方のブログを紹介するポストを発見した。
『へぇ、すごいな。読んでみよ。』と軽い気持ちでリンクを開いた。

ブログは、その方の家庭状況や頑張りが淡々と、冷静に、怒りや憤りも所々感じさせる文章で書き綴られていた。正直な言葉で。
生活保護世帯の子どもが進学する厳しさ、金銭的、精神的な辛さ
よその子を羨む気持ち、世の中の厳しさを大人になる前に知ってしまったが故のクールさ
頼ることのできない大人、孤独、孤独、孤独
共感するポイントがたくさん書き連ねられていた。
私がこの日記で書いてることが端的にわかりやすくまとめられていた。感服。

読み進めていくと、添付されたその方の模試の結果画像がふと目についた。
見覚えのあるオレンジと緑の結果票。

『あれ、これ私も受けたことあるやつ』
よく見ると、私と同じ地元の模試だった。高校受験前に受ける中学生用の県模試。
しかも志望校は同じ。

ブログの続きを読むと、その方は私と同じ高校へ出身らしかった
(すごい、あの県の、あの高校から東大とは・・・)

似てる条件、でも、できなかった私:劣等感

悔しい思いをしながらも、辛酸舐めて努力で人生勝ち取った人がいることに感銘を受けた

それと同時に、それよりも重く、大きな劣等感が私を包み込んだ
『同じ生活保護、同じ田舎、同じ高校、育った属性や環境が似ている。』

似た条件なのに、
優秀な頭脳を持ち輝く人生を切り開く人。
過去に囚われ、都会に疲れて今や無職になって、結局何者にもなれない私
鮮やかな対比、生きてるのが恥ずかしい
こんなんで人生辛いとか言ってるなんて、私はただの甘え?
遺伝子、才能、努力、気合い、根性etc...何においても私はダメな人間。

このブログがどこか遠い国の人の話なら、『素敵な話』で終わっていたと思う。
でも、共通項がこうも重なるとその方と自分を比べざるを得なかった。

よくよくブログを読んでみると、その方は今の状況になるまでに、
生まれながらの才能はもとより、明確な人生計画を立て、悔しさに負けない気概と根気よく勉強を続ける努力をしていた。その若さで流石だ。
一方、私は学校に馴染むことも、勉強を続けることもしなかった。
才能もなかったし、逃げて腐った。
比べるのが烏滸がましいのは十分に分かっている。

でも、その努力を、その気概を、その根気を少しでも持てたなら・・・
私の人生にも『もしも』があれば、他の可能性が開けたかな・・・
憧れ。

バネにできない劣等感。
じわじわと脳内に拡がり始めた。

偶然に意味を見出してみる:メタな私曰く、、、

1年も何もしてないと、他人と関わる機会も減る。
他者との接点がないので、自己と他者を滅多矢鱈に比較するという自傷行為とんとしなくなり、ここ最近、私は心健やか
人と接さないのって、楽。

自分だけのぬるま湯世界で安心しきった私。
例のブログは、そんな油断している私の劣等感をダイレクトに急襲した
真夜中、寝る前のスマホタイムに。

いつもの如く、人と自分を比べて心がキリキリキリキリ痛み始めた。
どうしようもないことなのに自分を厳しい言葉で責め立て始めた

しかもそれは止まらない。
これは数日ダメージを引きづるな。これから先も、自分をいじめるエビデンスにして毎回引っ張り出してくる嫌な事例になるな。

だが、そのバッドアイデアが私を覆い尽くしてダークサイドに陥れる前に、
私の斜め上から、メタな私が現れた

彼曰く『今、このタイミングでこのブログに遭遇するのは偶然じゃなくて、メッセージ。なんならテスト。さっさとループから抜けなよ。

彼は畳み掛ける『また人と比べては劣等感感じて、自分から進んで不幸になるの?まだ比較できるステータスや勝ち負けが幸せそのものだと思ってるの?』と。

掴みかけている:真理っぽいもの、よく言われてるけど体得できないもの

あぁ、そうだった。
今までのスパイシーな人生で感じた怒りや悲しみ、そして諦念から。
無職期間の1年間、世を捨ててみて俯瞰できたことから。
尊敬する人の生きる姿勢から。
なんとなく掴みかけていることがあったんだっけな。
メタな私の語りかけから、ふと思い出す。

幸せ、人生、満足、喜びなんて、人と比べられるものではない、んだった。
『比べないことが大切』とよく啓発本やXで見るな。知ってはいるけど、実行できないやつ。
きっと、これ、真理っぽいもの。そう、ぼんやり見えてきている。モヤモヤ。

あんたの幸せっぽい瞬間ってどんなときなのよ?

メタな私は言う『もう少しブレイクダウン。そもそも私の幸せっぽい瞬間。それってどんな時?』。
そろそろ彼もイライラしているみたい。

そうだった。
大切な人々と過ごすとき。
彼ら/彼女らの幸せを祈るとき。
誰かの役に立っているとき。
ファッション、音楽、アートに触れているとき。
少し意地悪だけど面白い、他愛もない会話をするとき。
美味しいものを食べてるとき。
美しい景色を見てるとき。
お気に入りの場所で、お気に入りの紅茶を飲むとき。
お気に入りのものを眺めているとき。
目の前のことに無心で集中しているとき。

そうだった。
そういう瞬間。後になって『好きだな、幸せだな』と思う場面。
そのときは気づかないけど、後になってじんわり残るやつ。余韻。
それは他人の何かと秤にかけて、どっちが重いとか軽いとか測れないものばかり

入り込めない世界〜私とそれ〜

好きな人、好きな時間や空間、好きなものと対峙しているとき。幸せっぽい瞬間。
その瞬間に、他の何かと比較して、優れているから善いとか、劣っているから悪いとか、善悪や順番付けしてなんかいない。
没頭目の前の瞬間に浸っている(そして後から幸せの余韻を感じる、あぁあれが、所謂それなのか、と)。
比較対象が入り込む余地なんかない。

そのとき世界は、私と私のフェイバリットシングの2者だけのものになる

他者や他の代替物は私たちの世界には存在しない。そんなのただの邪念。

愛するもの、愛する瞬間について他者からの承認を得ようとは思うに至らない
他者が理解しないならしないでもいい、そんなの関係なく、私はそれらを私の好きな様に愛でるだけ。他は全部外野。
究極の自己満足の世界。

なるほど、I see.

てめえの『好き』を理解してるか問題

自己満足(≒没入≒幸せ)、ちゃんとその中にいるときに比べる対象なんて見えない、んだとして。

人と比べて辛い思いをするのって、自分の満足する状態(≒没入≒幸せ)を自分自身で把握できていないときなんじゃないかね

本来自分自身は欲していないけど、他人や社会の目を勝手に取り込んで、自分の目で見ずに選んでるとか。
世の中が『それが良い』と言う基準に自分を無理やり当てはめてるとか。
そりゃ、入り込めてないから、余計なもの見えちゃう、考えちゃうよね。

私が比べて苦しくなるもの、資産、知能、学歴、資格、所属企業、年収、出世etc...
生きていく上で、社会から刷り込まれた価値観。上下関係。
そりゃ、全部満ち満ちたりて持ってたら人生イージーでベター。

でも、おぎゃーと生まれたてのエケチェンが、それを本能として求めるか?と問われるとそうではない。
生まれたての、ピュアな私は、それよりももっと欲しいものがある。
後付けの価値観によらず、大人になってもその人が本質的に求めるもの、嗜好するもの、合うもの。

あぁ、私としたことが!
根源的に求めるものはそこにないのに、自分が欲しいものが分からず。
とりあえず世の中で是とされてる尺度で人と比べて消耗してた。
欲しけりゃもっと、本能的に身体が動いてるよ(私も人間。動物だ!)。

皆そうだから、と言って興味ないものを手に入れようと必死で頑張って、
元々それに関心や適正がある人がスイスイと手中に収めていくのを見て、『どうして私はダメなんだ』なんて涙しても、時間の無駄。
焦り散らかしてる本人が、それに価値を見出せていないのに、それに向かって没頭できる訳ないね。


皆持っているから、と言って欲しいかどうか分からないものを必死に欲しがって、
手に入れてみたものの、『まだまだ何だか物足りない』と感じ、『あの人はこれに加えてあれも持ってる、私は足りない』を繰り返しても、時間の無駄。
駄々こねてる本人が、それを必要かどうか分かっていないのに、使いこなせっこないね。

あぁなんかぼんやり身体でわかってきた気がする。
人と比べられるものに幸せなんてない。』と。
幸せなとき、私の中には、他の雑念や比べる対象なんて存在しない
満ち足りているとき、私は、それを誰かに分からせたいとも思わない
人と比べられるもんなんかじゃなく、自分の中だけで完結できる永久機関

幸せは人と比べるもんじゃない、っていうより、
人と比べられるものに幸せはない、とはっきり言っても良いような気さえする。

それじゃあ私は何に没頭し、愛を注げるのだろうか?
そんなの多くの人は持たない夢物語と言う人もいるけど、もっとスモールスタートで愛を注げるものに、時間や労力という愛を注いでもいいんじゃないだろうか?(続く)

人を雇うにも、人が辞めるにも

ワレガワレガな人が怖い

『みんなでやろう』を標榜し、上司部下がない会社に、近隣のアジア圏出身の方が役員待遇で入社してきた。取締役のひとりと同じ出身だそう。

大まかな日本語は理解できるが、込み入った話は難しい。
そして、彼は声が大きいが具体的なことはよく分かっていない、『勢い』の人だった。
自身の過去の実績や勤めてきた企業でのやり方を強く主張し、『ワレがワレが』と、自己主張が強いきらいが見えた。
因みに、その役員を誘い入れた外国籍の経営陣も日本語が覚束なく、勢いだけで熱くなる人だった。
言葉の壁。

この新しい役員は、この会社の社風からは少し『異分子』だった。
派手な自己主張はせず、理解し合おうと努める社員が多い風土だったが、その中で彼は主張や圧が強かった。

初見で『正直ヤバそうだな』と直感
でも、仕事を推し進める上では、グローバルに活躍するには、この『ワレが』感が必要なのかもしれない、きっとそうだ!とひとり自分を納得させた。

嫌な直感は当たるもの
彼は雄弁に語る。今度の新規事業を『キラキラ、ワクワク、ドキドキ』といった言葉で修飾し、熱く。
私が仕事で調整しなければならないのは、『込み入った部分』。
そういった『ざっくりDREAM』を述べられても、具体的な仕事は進まない。

彼は、主張は強い反面、込み入った話になると『ニホンゴムジュカチイネ』と逃げた。
それが続く度、私は困惑、疲弊。
おまけに、こちらからの確認事項は放ったらかしだった。
にも関わらず、業務が遅れているのは私のせいだと役員会議で報告されていた。
平気で人のせいにできるのね……怖い。やられる。

私の部署には、上司やリーダーもおらず、入社したばかりの私は、誰に助けを求めていいかもわからず、圧の強い新役員との仕事でストレスを溜め続けた。

脆く、堪え性のないダメな私は、その彼とのプロジェクトにおいて最低限の役割を果たした後、退職した。

思うに、新卒、中途関係なく、新しく入社した人には既存社員のサポートが必要不可欠。ワレガワレガで癖の強い人との折衝など特に
会社のことも分からず、キャッチアップが必死なときに更に無駄にストレスを与えるのは会社として中長期的にみて損失だろう。
また採用活動をして時間を使い、エージェントに無駄金を払うこととなるのに。

因みに、そのワレガ系役員も、私が退職して1年経たないうちに退職している。
複数回転職してみて分かったが、新規事業や経営企画などで鳴り物入りで入社してくる『発言に勢いがあり、キラキラした言葉を巧みに使い、他社での実績があるように見える人』は、口ばかりが達者で、実績を上げることなく早々に退職する
高待遇渡り鳥、羨ましい限りだ。手八丁口八丁。

会社にヘイトを溜めた前任者

私はこの会社に前任者のリプレイスとして入社した。
どうも私の前任者は会社にヘイトを溜めて、怒って退職したらしかった。
彼は仕事に関わるデータを全て消して去った
立つ鳥跡を。
引き継ぎもなくひとりリモートする私。虚無。

漏れ聞く話によると、前任者はデフォルトの性格として偏屈で頑固。
経営側にもよく意見をしていたらしい。
意見するも通らず、ヘイトを溜めた。そしてデータをデリート。
私も何度も転職しているが、さすがにそんなことはしない。

引き継ぎがないので、私は、過去の業務をサルベージするというマイナス地点から業務をスタートさせるより他なかった。
何も情報がなく、同じ部署の人や上司というものもいなかった。
私はどんどん追い詰められ孤立していった。

因みに、私の後任も短期で離職している
会社として受け入れる体制が整っていないのに、人員確保だけ急いだからだろう。
人事主体の採用は、中途採用には向いていない。
雰囲気重視でいいことだけを言う、一緒に働くわけでもない人事に何がわかると言うのか。

人を雇うにも、人が辞めるにも理由があるし、面接なんかじゃその本当の理由はわかんねぇ。
会社も求職者も本当のことなんて言わないんだから。
ここも優しい会社だったが、業務をひとりに任せっきりだし、特定の部署だけ人員が余っているのに人員増を繰り返してた。
そりゃヘイトを溜めるよね。理解はできる。

違和感を合理化してもダメ

入社前に感じた違和感は、入社後に『やっぱりな』と思うことが多い

この会社に対しても、いい会社だが『直感的にはなんか違う』と感じていた
結果、前任者からは何の引き継ぎもなく、圧の強い外国人と伝わらないコミュニケーションで浪費させられ、『みんなでやろう』を標榜するも私には仕事の話ができる仲間がひとりもいなかった。

直感を信じずなんとか入社先を合理化し、いい理由を自分に信じ込ませようとしても、なかなか直感は最初に見抜いている。

ただ、全部直感に従っていては就職にありつけない。
誰もが認めるほど優秀な人ならいざ知らず、学歴もスキルもコミュニケーション能力も突出したところのない私は、選べるほどの人材ではない。

掃いて捨てるほどいる、その他大勢。
でも、直感も大切にしないと失敗に失敗を重ねることになる、トホホ。

人を募集している会社(増員も欠員も新規募集も)、
人が辞めると決めた会社(本人都合も、会社都合も)、
それぞれ理由があって、その理由は求職者が調べたところで、面接受けたところで、会社にも求職者にも全然わからないもの。
何回も何回もくじ引きをできるわけじゃないから、これも多分運

フーテンNOW

そうして私は、次の会社を決めずにプーになった
あれほど必死に、薄給から、ストレスを溜め続けながら貯めた貯金を切り崩しながら生きる。
なんかいい仕事見つかるかもしれないと、淡い夢を見ながら。
就活始めたら、空白期間の長さから、社会から弾き飛ばされ、今までの転職以上に心がへし折られるだろうと安易に想像できると知っていながら。

失えば失うほど、どこか本質的に、根源的に必要なものが見えてきて、より強くなれるのではないかと儚い期待を胸に
なんとかなるさ、を人生で初めて信じてみようと思う(果てして今なのか?)。(続く)

転職人生〜うまく飛べない渡り鳥〜

はじめての転職、合う上司の登場

デジタル化が進まず加齢臭のする、声がでかけりゃいい職場からの反動。
私は次の会社にベンチャーを選んだ。


面接時から、上司に当たる面接官との会話が弾んだ。
仕事に対する考え方やスタンスを誇張することなく素直に伝えられた。
先輩社員となる人も女性で話しやすい。
入社後もギャップは特になく、始めて評価されていたと感じ、仕事が楽しかった

上司の言うこともよく理解できるし、他の社員からは『怖い』と恐れられていた先輩社員とも上手くやれた
周りから、あの人とうまくやれている人は始めたみた、と何度も驚かれるほどに。

ここで学んだのは、仕事はまずは『できる』ベースで考えて取り組むべし、ということ。
今までそんなことを言ってくれる人は周りにはいなかった。まず無理や難しいと言うのではなく、『できる』を前提として。
当たり前なのかもしれなかったが、私には新鮮で、『どうやったらできるか』を考える訓練になった。後々の仕事の役にも立った。

合う上司の下で働くと、やりたいこと、やるべきこともスムーズに行動に移せる

いちいち『なんで?なんでそうなったの?誰が?何を?どうするの?』と言う疑問や、それが解消されない不快さを味わわずに済む。

そこでスピードを重視して、早めに動けば上司からの評価も上がり、認められているような気がして仕事が好きになる。
評価されることを軸としている分外的要因を必要とするが、私にとっては大きな一歩だった。

もう一つ大事なポイントとして、その上司は、私に小さな成功体験を重ねるサポートをしてくれた
小さな成功を重ねるうちに、自分で『こうしてみたい、ああしてみたい』と意見を持てるようになった。

その後その会社は、大企業に株式を譲渡し、子会社となった

バイアウトした後のPMI、親会社の風土を強制的に入れ込まれることによって退職する人たち。やる気のなくなる経営陣
株式を手放した後、大金が手に入り骨抜きになる創業者。
買った事業分野のノウハウがないが、自社の文化を強く吹き込もうとする新しい所有者、大企業。
会社の所有者が変わることなんと考えてもいなかった。

会社という個人の集合体で作る文化や仕組みが、外からきたものによって強制的に作り替えられていく様は侵略の様にも思えたし、これが今どきのベンチャーなんだ、これが今どきの普通なのかな、と思いワクワクした。

それからのキャリア

それから数回転職を繰り返した
上場したベンチャー企業で働いたこともある。
勢いのある会社では、次々に新しい業務が待ち構えていた。
1個終わりかけるとまた次の1個が降りかかる。高速テトリス
だが、それも成長とポジティブに捉えていた。

自分の経験が増える、と。

知識のないことも、強制的に、場当たり的に経験することができた
普通なら自分で選択を躊躇することも、目の前にやらねばならないこととして突如現れる。
やれることがどんどん増えるのは、自分の価値が高まること、そう思って取り組んだ。

ここでも、上司とは相性がいい方だった。
仕事上での付き合いしかしないし、飲みニケーションなんかも一切しなかったが、上司の拘るポイントが自分と似ていたり、勉強になることが多かったから。

その上司は、忙しすぎてピリピリする空気の中でも、ユーモアを忘れないところがあった
『辛い時ほど面白く』のスタンスは余裕と気遣いの大切さを感じさせた
トラブルもジョークを言って、少しバカにしながら笑って取り組む。
近視眼的になって、ピリつきがちな状況。
メタに捉えて冷静になるために、より素早く仕事を進めるために、笑いは必要。

ややブラックなジョークなセンスが合った。
そこそこ経験が積めたな、と思った後、私はより仕事を深化させたいと思い別の企業へ。

今思うと、ポジティブさからくるこの驕りが、私の仕事人生を現に今狂わせている元凶で、この決断をやや後悔している

驕りは良くないぜ。

勝者(リスクを取る者)が得るもの〜IT長者を横目に〜

成功しているタイプのベンチャーで働いてみて感じたこと:ベンチャー企業創業者利益、上場益は凄まじいぜ、マジ。

起業に成功すれば、創業者(大株主)は、数百億の資産が手に入るらしい。
たまたま偶然、そういった運も実力も兼ね備えた会社に入社できたので、間近で大きな金が動くのを見ることができた。

資産数百億の人と一緒に仕事をしている不思議。
田舎の貧乏暮らしからは想像もできない生活。
そんな人と働きながらも、私の給料は世間の中央値とほぼ同じだった。

資本家と労働者の差たるや……と思った。
都心の豪邸、ブラックカード、著名人との繋がり……キラキラ資本家。

ただ、日常を見ると、そんな彼らも同じ人間。
流行りのドラマを見たり、病気してみたり、1,000円ランチを一人食べたり。

世界はますます奇妙なものに思えた。
世の中、彼ら資産家のために廻ってるな、と思いつつも、彼らも私と変わらないタダの人間という動物という不思議。
私と彼らを違えているものはなんなのかしら……と。

新職場〜船頭多くして船山に登る〜

次の職場は上場を夢見るベンチャー
会社は、上司や部下もなく、みんな自由。フルリモート。
『みんなでやろう』を意識した新しい雰囲気。
そしてこの会社は、みんなで仲良く、楽しく、共感しながら働くメンバーを求めていた。

素敵な思想やん

上司や部下がおらず自由ということは、各自が好きなことをやって、やりたくないこと、やらなければならないことがポツンと残り続けたままになるということ
入社してすぐにボロが見えてきた。

『みんなでやろう』は、素敵な反面、危険なスローガン
気づく人がやって、やらない人は一生やらない。気づく人からの不平不満が噴火寸前。
それに自分の言動に対しての責任をぼやかす温床となる。誰が担当か不明瞭。
入社して間もなく、経営陣も課題として捉え始めた。

全員が自由なリーダー、だが責任は不明瞭だと、バラバラな方向に船が進もうとする。
経営施策も営業方針も設備投資も人員計画も、各人のリーダーシップに依っていたため、会社として何をすべき/したいのかが統一されていなかった。
数字的にも会社の成長も鈍化し続けていた。
IPOどころではない、という様子。

程なくして、この会社にもリーダーシップが必要ということになった。
上司も部下もない会社が、リーダーを置く。上下を作る。
リーダーの選出は当然経営陣。
長年在籍していた社員からは反発が出た。経営陣は仲の良さ、距離の近さで決めた。

優秀な人ばかりの会社だったが、『会社』というよりは大学の『ラボ』。
元々経営陣と同じ大学や会社の方をリファラルで集めた組織だったので、さもありなん、である。
私は無色透明になり、なるべくその文化に同化しようと試みた。

ある日、『ラボ』にも同じ大学や会社という土壌ではなく、役員と同じ国出身という理由で採用された『圧の強い異分子』が偉い手として入社することになる。
文化への同化、というより、個の主張。

入社早々の私は『圧の強い異分子』と同じプロジェクトに入り、疲弊。
会社に恨みを持つ前任者が私に引き継ぎを一才せず、会社側もそれをフォローしない状況に陥り、またもや私はダークサイドへ堕ちることになるとは。(続く)

仕事ってどんなものかしら?

上司の背中:威圧感や不機嫌さで人を支配する

ワクワク新卒。労働とはどんなものかしら。
採用してくれた会社、配属は希望の東京、ルンルンルン。
最初の配属は本社ではなく、所謂現場。OJTで学んでねスタイル。
スーツは着ない。バイトみたいなシフト制。

簡単だが量が多い事務作業。
朝から晩までの電話応対。
人力でなんでもやりすぎだと感じるほどAntiデジタル。
毎日12時間以上働いた。

思っていた東京ライフとは全然違った。ショックというより、日々ちゃんと仕事を覚えて、ちゃんとこなせるようになるように必死だった。

そのときは、目の前の作業をきちんとこなすことが、一番求められていること、仕事をして認められるための唯一の道と思っていた。

最初の上司は、正当な理由もなく怖く不機嫌を撒き散らし怒鳴る人だった
喧嘩っぱやい元ヤン。
よく人を殴ったり、蹴ったりした話を自慢げにしていた
私の前任の若手も殴ったらしい。なんやそれ。

職場で一番偉いのが彼で、誰も彼に逆らえなかった。職場の他の社員達からは怖がられ、そしてそれ以上に嫌われていた。
上司は彼らを従わせるために、いつも怒鳴ったり、気に食わない社員に手を上げることもあるらしかった。醜聞。

配属先の空気は毎日とても重苦しかった
上司の機嫌はどこで変わるかわからなかった。怒るポイントも笑うポイントも極めて謎だった。
訳もわからず、始終不機嫌な日も多かった

職場では一日中息を殺した。
足音を立てるのも憚られるくらいの空気に耐えなければならなかった。
昔から職場にいる先輩達ですら怯えながら働いている、なので私はもっと、怯えた。

私は、怖さや怒られたくなさ、それに面倒臭さから、生真面目に彼の言うことを聞いて働いていた。
が、それは上司受けする面白みのある性格ではなかったようだ。

男社会的なものとの親和性が低かった
『見どころ』がなかったのか、上司は私の接し方に困っているように見えた。
少し腫れ物。まぁ、怒鳴り散らかされるよりいい。

彼のタイプとしては、部下が気に食わないことをするとガツンと怒鳴って、自分の立場を誇示し主従関係を作って支配したい、と思っていたのだろう。
自分がイラついた時は発散できて、それでも自分に懐く子分(本当は渋々従っているだけだろうが)。

だが、怒られたくない私はミスがないようにミスがないようにと細かく動き、生真面目で愛嬌がなかった。

そんな私も一度だけ、いきなり怒鳴られたことがある
上司に何か聞かれて、何のことを言っているかわからず、聞き返したら、いきなり。

『え?』でしかなかった。
圧倒的『ポカン』。
そのとき、仕事ってこんなにいきなり感情をむき出しにするんだ、仕事ってこんなイライラしてて、重苦しいものなんだと誤った認識が芽生えた。

仕事に慣れてくると、いろいろな所から情報が入るようになった。その上司はパワハラ気質で過去にも問題を起こしている、が、現在営業成績が良いため会社としては評価されている、とのことだった。

会社は道徳で動いている訳ではないと知った
半年ほど経った頃には、誤った『仕事たるや』、がインストールされた私が出来上がっていた。

仕事とは、目の前の作業に忙殺され、一日一日単発で終わっていくもの。
予め決められたやり方で正しく処理すること。
後、上司の顔色は常に伺い、上司をキレさせないように丁重に扱う、上司に意見をしたり、上司に気軽に話しかけてはいけないということ。

今になって『最初の職場の、最初の上司』は仕事を始めた若者に多大な影響を与えると知る。
後々、アンインストールするのは容易くはない
私も別の配属先に移ることになった。ラッキー。

配属先変更の理由は、別の配属先の同期が上司とトラブルを起こしたからだった。
あぁ、それなら私もトラブル抱えてるのに、会社の目は節穴だなと思った。

パワーも、セクシャルも

前の職場には、私の代わりに女の子が配属された。
その子には、元ヤン上司は優しく接しているとの風の噂
職場の先輩曰く、上司の私と彼女への対応の違いは可哀想なほど違うらしい。

元ヤン上司はその女の子には、仕事上の専門的なことを個別に時間を使って教えているとのことだった。
私は個別に時間を使って何かを教えてもらったことなど、一日たりともなかった。
実際、彼女は私よりずっと良い評価をつけてもらっていた。

あんなに硬派なフリして、暴力や威圧感で人を支配してたのに、綺麗な女は贔屓もするし、優しく教えるんだ。ダサ。

仕事の矜持を語られたこともあったし、恐怖で言うことを聞かない者を支配するのも、マネジメントの方法の一つとしてはあるのかな、なんて思っていたが、彼の浅さに失望した。

聞いてもないのに、仕事の矜持を語る人間は信用ならない、薄い。

その後、上司はその女の子に交際を迫っていると知った。不貞のお誘い。
その上司に対して、圧倒的に嫌悪感を感じた。
入社1年目にして、パワハラとセクハラを両方見せられた。

社会人の洗礼。

仕事も結局、ウマが合うかどうかなのか

月日が経ち、また異動した。
同日に同期と2名で配属。
新しい上司は、部下達から明確にヘイトを集めていた。
仕事って、こんなに部下が結託して上司を総スカンしても良いもんなんだ、と思うくらいに明確に。
部下達は、新しく配属された私達も敵視していた。

そんな中、同日配属の子は上司と仲が良くなっていった。
上司としては、敵ばかりの中、自分の味方が現れたのが嬉しかったのだろう。日に日に仲良くなる彼ら。

私は、と言えば、目の前にある作業をただただ正確に高速に処理できるように努力していた。特に手を止めて、上司と喋ることはしていなかった。

案の定、仲良くなった同日配属の子の方が評価が高かった。
だがこの子の仕事のリカバリーをしていたのは私だった。

あぁ、なんて私は人間関係を作るのが下手くそなんだろう、上司に好かれなければ本当に評価されない
どうすれば、上司から好かれるんだろう。仕事で評価されるってなんだ、答えがわからず、目の前が真っ暗になった

評価される人の基準が分からない/生き残るためには無責任になるべし

また別の部署での話。
前任と交代で担当者一人、私だけがその業務をするらしい
1から10までやったことのない仕事。
今までやってきた誰でもできる事務作業とは違った類の専門業務。

新しく何かを始めると言うより、前後関係の把握が必要なややこしい事務なのに前任がいない……

不安で、何が分からないかも分からない状況。
前任者は確かにいた、が、1日も引き継ぎなく異動
会社の運営に疑問を感じずにはいれず、何度目かの失望。慣れっこだ。

JTCとは言えないが、ベンチャーでもない。
周りを見ると、同期や先輩は、同じ業務に携わる上司の下についていた
私には業務を理解できる上司や同僚がいなかった

緊急対応が必要なアクシデントが起こったとき、担当役員に報連相するも、『難しいことわかんないから、君が決めて』と言われる始末。

虚無。孤独。押し付けられる責任

分からないことが分からないレベルの深い闇の中、助けてくれる人も、話が少しでもわかる人もいない

ふと横を見ると、会社の中では『仕事ができる』と言われる上司と、後輩が和気藹々と歓談。
孤独や不安を抱えながら机に向き合う私、鮮やかな対比。

今の仕事をもう少しできるようになったら、さっさと辞めよ。心に決めた瞬間。

担当役員からの私の評価は悪くなかった。
ただ、業務のことを分かっていない中で評価されるので、何が良くて、何が悪いかのフィードバックがふんわりゆるふわ。
何も合点が行かなかった。

とりあえず、会社で分かる人がいないめんどくさそうな業務を、新人一人ひとりでやってたようだから評価したというのが見え透いていた。

担当役員らは社内でのコネ作りのため、業務中にいつもゴルフや飲み会の計画をしていた。
ゴシップや人事異動、ひどい時は女子社員の誰が可愛いかといった話ばかりしていて、仕事をしていなかった。

こういう人が管理職として、評価される会社では私は評価されないだろうな。見方を変えると安泰でいい会社って言える、でも長くは続かないだろうな。いつもそう思っていた。

彼らは物事について話すとき、支離滅裂でどうしてその結論になったのかが分からない話を繰り返した。よく主語がない話をされた。
話し合いにならずに、聞いている質問の答えが返って来ずに、諦めることばかりだった。

そのうち私に上司がついた
彼も未経験で、私が彼に仕事を教える羽目になった。
彼が他の部門から責められると、『「私」君がそう言ったから・・・』といつも私のせいにして逃げた。

更に担当役員も変わった
会社でも悪評が高い定年の近い男。サイコパス
数日働いて、私はわかった。彼は物忘れが激しい。
自分の言ったことをきちんと覚えてられない、何でも朝令暮改というタイプ。

それに、直ぐ怒鳴り、怒り散らかすタイプ。プライドの高い男が高齢になり、感情のコントロールができないという様子だった。

私が見るに、彼自身少しは自分がボケ始めていることや衰え始めていることに気がついているが、権力を維持するためにもボケを部下に悟られないように、勢いと恐怖で支配すると決めて動いているようだった。

彼は、ほぼ毎日部下達を始業前からオフィス全体に響き渡るほど怒鳴り散らかしていた
部下のやることなすこと全てを否定し、最終的には『お前はダメだ』と人格を否定するほどだった
1日中聞いていると、こちらの気が滅入るほど

人前で怒鳴られ続けた私の上司は、日に日に自信を失い萎縮して行くばかりだった。

あぁ、こういう人が出世するんだ。大きな声でマウントすると仕事できるって会社は判断するんだ
合点が言った。私は声が小さく、オシが弱い。なるほど

バイバイ。

経験の少なさから、苦戦しつつもなんとか転職先が決まった。
それから数年して、その会社は潰れた。やめて良かった。(続く)