スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

転職人生〜うまく飛べない渡り鳥〜

はじめての転職、合う上司の登場

デジタル化が進まず加齢臭のする、声がでかけりゃいい職場からの反動。
私は次の会社にベンチャーを選んだ。


面接時から、上司に当たる面接官との会話が弾んだ。
仕事に対する考え方やスタンスを誇張することなく素直に伝えられた。
先輩社員となる人も女性で話しやすい。
入社後もギャップは特になく、始めて評価されていたと感じ、仕事が楽しかった

上司の言うこともよく理解できるし、他の社員からは『怖い』と恐れられていた先輩社員とも上手くやれた
周りから、あの人とうまくやれている人は始めたみた、と言われるくらい。

ここで学んだのは、仕事はまずは『できる』ベースで考えて取り組むべし、ということ。
今までそんなことを言ってくれる人は周りにはいなかった。まず無理や難しいと言うのではなく、『できる』を前提として。
当たり前なのかもしれなかったが、私には新鮮で、『どうやったらできるか』を考える訓練になった。後々の仕事の役にも立った。

合う上司の下で働くと、やりたいこと、やるべきこともスムーズに行動に移せる

いちいち『なんで?なんでそうなったの?』と言う疑問や、それが解消されない不快さを味わわずに済む。

そこでスピードを重視して、早めに動けば上司からの評価も上がり、認められているような気がして仕事が好きになる。
評価されることを軸としている分、外的要因を必要とするが、私にとっては大きな一歩だった。

もう一つ大事なポイントとして、その上司は、私に小さな成功体験を重ねるサポートをしてくれた
ステップを重ねるうちに、自分で『こうしてみたい、ああしてみたい』と意見を持てるようになった。

その後その会社は、大企業に株式を譲渡し、子会社となった

バイアウトした後のPMI、親会社の風土を強制的に入れ込まれることによって退職する人たち。やる気のなくなる経営陣
株式を手放した後、大金が手に入り骨抜きになる創業者。
買った事業分野のノウハウがないが、自社の文化を強く吹き込もうとする新しい所有者、大企業。
会社の所有者が変わることなんと考えてもいなかった。

会社という個人の集合体で作る文化や仕組みが、外からきたものによって強制的に作り替えられていく様は侵略の様にも思えたし、これが今どきのベンチャーなんだ、これが今どきの普通なのかな、と思いワクワクした。

 

それからのキャリア

それから数回転職を繰り返した
上場したベンチャー企業で働いたこともある。
生長の勢いのある会社では、次々に新しい業務が待ち構えていた。
1個終わりかけるとまた次の1個が降りかかる。高速テトリス
だが、それも成長とポジティブに捉えていた。

自分の経験が増える、と。

知識のないことも、強制的に、場当たり的に経験することができた
普通なら自分で選択を躊躇することも、目の前にやらねばならないこととして突如現れる。
やれることがどんどん増えるのは、自分の価値が高まること、そう思って取り組んだ。

ここでも、上司とは相性がいい方だった。
仕事上での付き合いしかしないし、飲みニケーションなんかも一切しなかったが、上司の拘るポイントが自分と似ていたり、そこで勉強になることが多かったから。

その上司は、忙しすぎてピリピリする空気の中でも、ユーモアを忘れないところがあった
『辛い時ほど面白く』のスタンスは余裕と気遣いの大切さ
トラブルもジョークを言って、少しバカにしながら笑って取り組む。
近視眼的になって、ピリつきがちな状況。
メタに捉えて冷静になるために、より素早く仕事を進めるために、笑いは必要。

ややブラックなジョークなセンスが合った。
そこそこ経験が積めたな、と思った後、私はより仕事を深化させたいと思い別の企業へ。

今思うと、このポジティブさからくる驕りが、私の仕事人生を現に今狂わせている元凶で、この決断をやや後悔している

驕りは良くないぜ。

 

勝者(リスクを取る者)が得るもの〜IT長者を横目に〜

成功しているタイプのベンチャーで働いてみて感じたこと:ベンチャー企業創業者利益、上場益は凄まじいぜ、マジ。

起業に成功すれば、創業者(大株主)は、数百億の資産が手に入るらしい。
たまたま偶然、そういった運も実力も兼ね備えた会社に入社できたので、間近で大きな金が動くのを見ることができた。

資産数百億の人と一緒に仕事をしている不思議。
田舎の貧乏暮らしからは想像もできない生活。
そんな人と働きながらも、私の給料は世間の中央値とほぼ同じだった。

資本家と労働者の差たるや、、、と思った。
都心の豪邸、ブラックカード、著名人との繋がり、、、キラキラ資本家。

ただ、日常を見ると、そんな彼らも同じ人間。
流行りのドラマを見たり、病気してみたり、1,000円ランチを一人食べたり。

世界はますます奇妙なものに思えた。
世の中、彼ら資産家のために廻ってるな、と思いつつも、彼らも私と変わらないタダの人間という動物という不思議。
私と彼らを違えているものはなんなのかしら、、、と。


新職場〜船頭多くして船山に登る〜

次の職場は上場を夢見るベンチャー
会社は、上司や部下もなく、みんな自由。フルリモート。
『みんなでやろう』を意識した新しい雰囲気。
そしてこの会社は、みんなで仲良く、楽しく、共感しながら働くメンバーを求めていた。

素敵な思想やん

上司や部下がおらず自由ということは、各自が好きなことをやって、やりたくないこと、やらなければならないことが、ポツンと残り続けたままになるということ
入社してすぐにボロが見えてきた。

『みんなでやろう』は、素敵な反面、危険なスローガン
気づく人がやって、やらない人は一生やらない。気づく人からの不平不満が噴火寸前。
それに自分の言動に対しての責任をぼやかす温床となる。誰が担当か不明瞭。
入社して間もなく、経営陣も課題として捉え始めた。

全員が自由なリーダーで責任も不明瞭だと、バラバラな方向に船が進もうとする。
経営施策も営業方針も設備投資も人員計画も、各人のリーダーシップに依っていたため、会社として何をすべき/したいのかが統一されていなかった。
数字的にも会社の成長も鈍化し続けていた。
IPOどころではない、という様子。

程なくして、この会社にもリーダーシップが必要ということになった。
上司も部下もない会社が、リーダーを置く。上下を作る。
リーダーの選出は当然経営陣。
長年在籍していた社員からは反発が出た。経営陣は仲の良さ、距離の近さで決めた。

優秀な人ばかりの会社だったが、『会社』というよりは大学の『ラボ』。
元々経営陣と同じ大学や会社の方をリファラルで集めた組織だったので、さもありなん、である。
私は無色透明になり、なるべくその文化に同化しよう自分なりに頑張ろうとした。

そんな『ラボ』にも同じ大学や会社という土壌ではなく、役員と同じ国出身という理由で採用された『圧の強い異分子』が偉い手として入社することになる。
文化への同化、というより、個の主張。

入社早々の私は『圧の強い異分子』と同じプロジェクトに入り、疲弊。
会社に恨みを持つ前任者が私に引き継ぎを一才せず、会社側もそれをフォローしない状況に陥り、またもや私はダークサイドへ堕ちることになるとは。(続く)