スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

疲れ始め、堪忍袋

母の夏、始まる

夏は、母が絶好調になる季節だ
この年の夏も、彼女は飛ばしていた。

昼夜逆転し、働いてもいない、動きもしないので、数日眠れなくなる時があるらしい。それが夏の暑さと合わさると、体力的に堪えて、幻覚を見るようになるのだ

何もないところを見て、いきなり話し始める母

私を殺すために誰かが付け狙っていると言い出す母(母自身ではなく、私が殺される対象で本当に嫌だった)。

夜な夜な幻覚を見て、外へ徘徊する母(事故にでもあったらどうするのだろう)。

ただただ怖かった。
お化けが大嫌いでビビリな私は、幻覚と理解しながらも、もしかしたら母の言っていることは本当かもしれない、本当だったらどうしようとビクビクしていた。
おっかなかった。

それくらい、幻覚を見ている人は、本気
必死で幻覚が事実であるとこちらに訴えてくるのだ。
そのマジな眼差しの前では、逆に自分自身を疑うしかなくなってしまうほど。
鬼気迫るとはこのこと。

数日、幻覚を見て騒ぎ散らかした後、母はぐっすり眠り、元に戻っていった。
元に戻っても、飲み散らかしてキーキー五月蝿い状態なのだが。

2人しかいない家族が、頼るべき親がそういう状況であるのは、私から生きる上での安心感を更に更に奪っていった。
彼女への信頼は底をついていると思っていたが、まだ底はなかった。

頼りになるものは何もない、しかし自分は無力。
10歳そこそこになり、人より大人びた私は、早く大人になることを願った。

 

よなよなきエール

この冬頃から、母は夜、家からいなくなることが増えた
幻覚とは関係なく。健康な状態に戻ってからしばらくしての冬。

夜ふと目が覚めると、母がいない。
怖がりな私は、夜一人でいるのが耐えられなかった。
何度も何度も、夜出て行かないようにお願いした。

だが、ふと目が覚めるといないのだ。

幾度、夜は家にいる約束を取り付けても、その日のうちに反故にされる。
無力感、儚さ、約束とはなんなのかと言う疑問。
約束を破られ続ける子どもの心理。

そういえば昔からよく言われていた『約束に絶対はない、絶対はない』と
約束を特別なものと思っていた私には、理解が難しかった。
じゃあそもそも、最初からしない方が良かった。


母的には、うるさくせがまれるから当座凌ぎのために口約束を取り付けて流していたのだろう。

約束をして果たすことは信頼関係を築くことなのに。

それに加えて、『お化けなんていない、一番怖いのは人間』と教え込まれた。真理が過ぎるぜ。
30過ぎの中年になった今は賛同できるが、お化け怖い怖い期の渦中にいる人を正論で切ったところで理解できないよ。

『お化けはいない、そして約束に絶対はない』、だから私は、お前がいくら夜一人でいるのが怖くたって、自由に出ていくよ、って合わせ技。
彼女は自由。子どものお願いなんかじゃ縛れやしない

外出して、母は何をしていたかというと、ふらっと飲みに出たり、義父の家に行ったりしていたらしい。

そのうち義父の家に行ったっきり、家に帰らず、私もそちらへ行くようにと言われるようになった。

一方、義父からは、早く家に帰れと言われるも、動こうとしない母。
遂には、生活保護の金を私に銀行で降ろさせ、義父宅に持ってくるように指示するまでになっていた。

その日、私は家にあるキャッシュカードでいつもと同じようにお金を降ろし、その足で家賃を払い、母がいる義父の家にお金を持って行った。

家では、既に母は酔っていた。義父と下のきょうだいもいた。
義父は、家に帰るように諭していたが、優しさからか強引に追い出しはできず、ギャーギャー五月蝿く騒ぎ散らかす母は、そのまま居座っていた。

『家に帰ろう』何十回目かの、私から母への切実なお願い、申し入れ。

『そんなに帰りたければ一人で帰れば』と子どもの願いをはねつける母の言葉、却下。

緒が切れたら、堰を切って溢れるモノ

この時、私は、本当に何かがブチっと切れる音が聞こえた。
心臓が今までにないほどドクドクした。

何度も何度も何度も何度も、母にすがって頼み込んだお願い『夜家を空けないで』、『家に帰ろう』。

それすら、そんな簡単なことすらこの女には届かないのか。
人とは違う家庭環境で惨めな思いをしても、毎日コンビニ弁当でも、ガスもつかず寒く汚い家の中でも、文句を言わずにやってきたのに、これか。これなのか。

瞬間、義父や下のきょうだいの前で、私は、母の顔を引っ叩いていた
買ってきたポテチを粉々に砕き、母の頭の上からかけて、怒鳴り散らした
何を言ったか覚えていないくらい、今まで怒ったことがない私が、自分自身も知らなかったほどの剣幕で


積年のペイバックだった。長年の献身を、こうも何度も裏切られ続けたことへの怒りは、私が思うよりも大きかった。憤怒。
一度溢れると、それは止まらなかった。怒りが怒りを増幅させた。後から後から思い出される我慢の数々が、更に怒りに薪をくべた。

義父も、止めようがなく唖然としていたのを覚えている。
酔った母も泣き喚いた。今まで従順だった私、飼い犬に手を噛まれ気が動転していたのか、単純に痛かったのか。

私は、下ろした金を咄嗟に手にして、一人暗い夜道を家に帰った。
帰り道が暗くて怖かったのに、憤りはそれをも凌駕した。
途中、スーパーでご飯を買い、それから数日、電気やテレビを付けっぱなしにして生活をした。怒り狂った中でも冷静だった。

母が帰ってきたのは数日後だった。
なぜか、義父や、母から話を聞いた祖母から、それぞれ、金を母に渡すように言われた記憶がある。
子どもがお金を持っていると危ないそうだ。

既に、子どもの私が管理した方が、酩酊した女よりきちんと使える状況なのに、なぜだろうかと疑問だった。
『味方はいない』と思った

この頃から、母のことを、親や家族として見なくなっていった。
母には、酒に溺れた邪魔な人、人生の足を引っ張る人のレッテルが貼られた。

一方その頃、母は、更に酒に溺れるようになっていた。(続く)