スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

結婚生活〜It Didn’t Last So Long、案の定〜

母の結婚、妊娠、出産

母が結婚をした
できちゃった。

スナックでアルバイトをしていた母は、またもや客の男と恋仲になり、子を授かった。

今度は、独身の、真面目な、姑と義妹付きの男

結婚する段になり、母は既に2人子どもがいることを男とその家族に伝えた。
しかも、2人。その両方を自分では育てているわけではなかった(因みに私には上にきょうだいが1人いる)。

私は、この母とこの男(義父)の結婚のいきさつや、両家の葛藤は知らない。

今考えるに、義父側からすると割と掴まされた感があったことは想像に難くない。
私が義父側家族なら止める。他にチャンスはあるよと。

とは言え、コウノトリは、なかなか人の思うようには飛んではこない。
結婚にあたり、施設に預けていた私も引き取ることを義父とその家族は承知してくれた(ちなみに上のきょうだいは別の親戚の家で暮らしたままである)。

今思うと、義父は懐の深い優しい人だ(IFの話はないが、私がこの立場ならなかなかこの決断はできなかったと思う)。
誠実だったり、優しいことは、とても大切

孤児院から義父の家に引き取られた日のことはあまり覚えていない。
母と義父が乗る車が迎えに来たような、違うような靄がかった曖昧な記憶。

義父は、義父の家族と一緒に暮らしており、腹ボテの母と私はそこで暮らすこととなった。
義父もその家族も、私に優しくしてくれた。
ケーキやクリスマスプレゼントを貰ったことを覚えている。
そこで初めて食べたチーズケーキは、未だに好きなケーキだ。

一方、生来、自由というか自分勝手な気質な母は、初めての結婚生活や姑のいる暮らしにストレスを感じていたようだった(上のきょうだいの時も結婚せず出産している)。

とは言え、母も彼女なりに頑張っていたらしく、料理が得意でないなりにレシピを見ながら必死に作っていたらしい。
嫌いな料理を必死に。だが私は母の手料理を覚えていない。

それに家事をしているイメージがなく、いつも私を自転車の後ろに乗せて実家に向かっていた。週に何度も。

祖母と母は折り合いが悪く、よく激しく喧嘩をしていたが、それでも実家に帰っては、夕方まで過ごしていた。

母は義父の家が嫌だったのだろうし、義父の家族側から見てもいつも実家に入り浸る嫁には抵抗感を覚えるだろう。そういうモヤつく感情は、どんどん積もっていく。

そうこうしている内に、下のきょうだいが誕生
この日のことは、ちゃんと記憶している。
義父と病院に行き、廊下で生まれるのを一緒に待った。
数時間経って、『オギャー』と聞こえる産声。
小さな、子猿のような生まれたばかりの赤ちゃんの姿。
下のきょうだいが生まれても、母はよく実家に帰っていた。
母が赤ちゃんに構っていた記憶があまりなく、いつも揺りかごに寝かせられていた気がする。

この頃の思い出と言えば、
夜に義父と母が喧嘩して、母が家を飛びだしたことがあった。
あたりを義父と探してみたが、見つからず。
大人だからそのうち帰ってくるだろうと、そのまま眠りについたが、朝になっても帰らず。
義父が出かける際に、玄関前の溝をみてみると、ようやく人が入る隙間の溝に母が挟まって爆睡していたという。
母と一緒に暮らしてみても、こんな状況だったので、私はいつも不安を抱えた状態でどこか心許ない気持ちであった


今思えば、終わりの始まり

どうしてそうなったのか記憶にないが、
義父と生活していた最後の頃、母と私はホテルを泊まり歩いていた時期があった。

その際、酔った母が公衆トイレに入った隙にドアノブにかけていた鞄が盗まれ現金が奪わたことがある。

ホテル代も払えず、親戚に助けに来てもらった。泥棒にあったという怖い思い出。

私は、お金をいうよりも、その時買ってもらった本も一緒に盗まれてしまったので、そのことの方がショックだった。

そんな浮ついた生活の後、義父の家に帰ると、義父、赤ちゃんとその家族が家からいなくなっていた

今思えば、義父、義祖母と母の関係が悪くなり、母は私を連れ放浪していたのだと思うが、当時はなぜ義父がいなくなっていたのか理解できなかった。

それで言うと、母と義父は、最初からすごく仲睦まじいわけでも、仲が悪いわけでもなさそうだった。はっきりモノを言いすぎるきらいのある母と、口下手で流されやすそうな義父。

妊娠が決め手の結婚、子はかすがいにはなれなかったらしい。

どのタイミングで決定的にダメになったのだろう、今度母に尋ねてみたい(そういえば聞いたことがなかった)。

よくよく考えると、放浪している間、赤ちゃんを連れていなかった。

その点、話はついていたのかもしれない。経済力や面倒を見れる環境かどうかを考えると、母より義父の家庭の方が『ちゃんとしている』。


お離婚とよくある形式的質問

そんなこんなで、義父と母は離婚することになる。
短い結婚生活である。

なぜ聞かれたのか未だに理解できないが、母から『義父と母とどちらと暮らしたい?』と聞かれたことがある。

当然私にはそんな選択肢はないはずなのにだ。

形式的に聞いてみたかったのか、謎である。
幼い私は、当然母を選び、これから暗くて寒い、冬の時代を迎えることになる。

私はこの頃から、アニメでたまたま見た『セーラームーン』に熱中し、綺麗なものが好きになっていく。『ムーンプリズムパワーメークアップ』、少しづつその辺の男の子とは違う自分に気がついていく。(続く)