誕生秘話〜ハナからケチが付いた〜
生まれるに至るあれこれ
子どもの誕生、それは世間的にはめでたく、家族総出で喜ばれるもの。
で、あることが多い。
が、私の場合はそうでもなかったようだ。
私は、よくある、水商売の女と、妻子持ちの客との間に生まれた子。
妊娠が発覚した時点で、客の男は女に堕ろせと迫った。
女は堕ろせずズルズル、膨れるお腹はプクプク、育つ子どもはスクスク。
その後、男の妻に不倫がバレ、『産むな!』と迫られるも女は出産。
妻に弁護士を立てられ、女は妻、男と示談。子は認知されず。
示談の結果、
生まれる子は、女の手で育てることを認められず、孤児院へ預けられることに。
後で聞いたが、男の妻の怒りの執念で、子の孤児院行きが決まったそうだ。
そして女へは手切金を受け取ることに。
その訳ありないきさつから、母体にいる時から、私は、多方面からややこしいもの扱いされていた。
女の家族からも。
なんというか、生まれる前からケチがつけられた、出鼻をくじかれた状態。
そんな中、お腹の子は、示談やなんやかんやに悩む母体の不安を一身に浴びながら、世の中に飛びたそうとしていた。
『さあ、いざ!』と陣痛を起こし生まれようとするベイベー。
歓迎されぬ重たい空気を読んだのか、へその緒を首に巻きつけ、逆子で生まれようとしていたらしい。
世の中に対する初めての、小さく大きな反抗。
生まれる瞬間から反出生主義。
それでも世界に『オギャー』と一声。それも運命。
それ以降の乳児期の話は親から聞いたことがない。
赤子の私と、母との写真も残っていない。
父の写真は今まで一度も見たことがない。一切顔も知らない。
バイバイ、パパ、ママ。孤児院へ行って参ります。。。
男女の事情、火遊びは火事のもと
片田舎で働く妻子持ちの男は、婿養子。妻(とその親)に頭は上がらなかったそうだ。愛する子どもも何人かいた。
地元の飲み屋で働く水商売の女(母)と何度か会ううちに男女の仲となった。
どんな話をして、何を楽しんだのかは聞いたことはない。
関係性、田舎の土地柄、表立って腕を組んで歩ける訳でもなし、家での逢瀬だったのだろう。
『私』に関係のない他人の話として、この水商売の女に起きたこととして受け取れば。
残酷な言い方となるが、男は婿の肩身の狭さや仕事のストレスを癒すために、非日常でお手軽な女として母を見ていたんだろう。
男が女に本気で惚れていなかったのは、妻に不貞がバレてしまった後の行動で容易にわかる。
女は『優先順位』で劣後した、総合的に勘案した冷静な選択に負けた。
愛を語り合っただろうに酷いものだ。
女への愛情は、自分の立場を投げ打ってでも守りたいものではなく、ちょっとした火遊びだったのだ。
火遊びが小火に、そして火事になった。燃え殻の中から生まれいずる私。
女は男を愛していたのであろうが、見る目なく、妻と自分を天秤にかけられ、妻の目の前で敗北。
腹に子を宿しての失恋。
因みに、後述するが彼女は身籠って捨てられたのがこれが初めてではない。
私は、彼女に男を見る目があったら、と思わずにいられない。
もし今の私が、その女の友であったら言ってやりたい『冷静になりなよ、あんた。そんなんじゃ幸せになれっこないよ』と。
その女、惚れっぽく、一途。
何がそこまで惚れさせたか分からないけど、『自分が愛されているか』より『自分が愛しているか』に重きを置いて、猪突猛進するタイプ。
タイムマシンがあったら、その時の彼女を見てみたいものだ(そしてこんこんと説教をして更生させたい)。
『親1』『親2』への想い
私は、そんなよくある複雑な環境で生まれた。
親、両親と呼ばれるものに対して思うのは、火遊びの後始末は、迷惑かけずにやってくれよということ。
罪なく生まれた子どもに、辛さ、悲しさ、虚しさを背負わせないでくれ。
産んだら、責任を持って愛してやってくれと。
写真もなく顔も一度も見たことのない『父』に思うこと。
正直に、意地とか関係なく『会いたい』と思ったことがない。不思議なくらい。
最初から気配や面影すらないから、何をどう求めていいかもわからない。
ただ、生まれた人間ひとりの存在をなかったことにしようと、金で解決する浅ましさにいつか相応に天罰が下ると良いとは思っている。客観的な怒り。
もう死んでるかも知れないし、多分過去の『おいた』は忘却の彼方にあるとだろう。
でも、今際の際には因果応報が果たされる。
幸せだったと思いながら、家族に見守られ召されようとするその瞬間、ふと捨てた水商売の女や認知しなかったその子の幻影を見て悔いよ。
最近、タイムリーに『射精責任』という言葉をSNSで聞いた。
あぁ、これこれ。彼らの時代にもあったらよかったのに。
子どもは男の責任だけで生まれる訳じゃないけど、男は妊娠しないから、女より負担は少ないのは事実。
身体ごと変化するリスクもないから、責任を負わずどこかへ逃げてしまうこともできる。男性は自由に射精できる。
一方、女は妊娠すると、肉体的なのか精神的なのか知らないが母性が湧く。
私は堕胎には反対ではないが、女は堕胎するにも肉体的、精神的に負担があり、抵抗感があることは想像できる。女が不利だ。
私の半分は無責任な『父』由来、半分はバカな男に惚れて堕ろせもせず育てもできない『母』由来。
そんな遺伝子で出来てるというトホホ。
『母』に対して思うこと。
『憐憫』、『諦め』、『頼りなさ』。それと『男を見る目のなさ』。
一時の感情で出産するものの、その後延々と続いてゆく『子育て』については考えに至らぬ浅はかさ。
後述するが、私が自分の誕生秘話を聞いたのは、私が孤児院から母に引き取られ、母が結婚した男性と離婚する際、私が5歳にならない位の頃。
その頃からイライラして様子がおかしかった母は、私にとって『全幅の信頼を置けて、甘えられる存在』ではなかった。
今思うと、その様子のおかしさや昔から彼女を知る親戚の発言から鑑みるに、彼女はナチュラルボーンに、生粋に何か障がいがあったのではないか。私はそう疑っている。
私はいつも、男に捨てられた母に憐憫の念を抱いていた。捨てられて、その後離婚していつもピリピリしている母、可哀想な人。
精神的に不安定で信頼も置けず、捨てられて可哀想な母に対しては、『求めてはいけない』と諦めの気持ちが芽生えていた。
子どもながらに、親を慮った結果の憐憫。
私の親が、私を創造した歳を過ぎた今、『親になる』のも大変だなと思う。
自分の今までを艱難辛苦を考えると、止め処なく恨みつらみ溢れるが、30年以上生きれてるんだから、そろそろ彼らのことを忘れ去りたい。さようなら、と。
だが、私の人生はまだ始まったばかりで、これから飲み込めないほどビターな経験をすることなるのであった。(続く)