スピカのなんとか生きる日記

30代、男、ゲイ、毒親育ち、現在無職のなんとか生きる日記

恩人の救済〜Le salut de l'âme〜

感謝〜Merci mille fois〜

今で言うところのネグレクト、ヤングケアラー気味だった私の幼少期。
私は母方の親戚(以下、『Aさん』という)によく面倒を見てもらっていた

Aさんは、母が一切手をつけなかった私の学校周りの面倒も、愚母に代わり手続きしてくれた。
小学校中学年以降、土日のどちらかは私の相手をしてくれた。
母と私の中が絶望的だった時期も、Aさんだけは私の味方をしてくれた。
私が大学に入学する際に、雀の涙の給料を貯めて当座の生活費を渡してくれたりもした。
その人がいなければ、私は今、生き繋いでいなかったかもしれない。

感謝

部分的とは言え、子どもの面倒を見ることは骨が折れること。
それは子どもながらに理解していた。
Aさんには反発したり、わがままを言ったり、甘えたりすることはしないようにしていた。
それに、Aさんと私は共感するポイントや、やや内向的で臆病なところが少し似ていた。
だから余り無理を言いたいとも思わず、年の離れた友達のように自然に接することができた。

Aさんも同情や大人としての責任感だけでなく、性格の似ている部分や相性の良さもあり、私を可愛がってくれたのかもしれない。

Merci mille fois, grâce à toi.

手紙〜Les lettres〜

Aさんは、今でも私のことを気にかけてくれている。
晴れて親というストレッサーから離れひとり暮らしを始めても、社会人になっても、無職になっても、しばしば『元気にやれ、幸せを祈る』という内容の手紙をくれる。

お世話になった人からの気遣いの手紙。
優しさ、思い遣り。自筆でしたためた手紙には想いが込もっている。

状況〜La situation de la personne〜

嬉しいはず、喜ぶべきなのだが、手紙を読んだ後、素直に心が温まらない私がいる。

それは手紙の内容が、私の幸せを願いつつも自身に降りかかる不幸を嘆くものだから。
私は今はとても辛い、不幸だ。だが、お前は幸せになりなさい。』と綴られる手紙。

読後、心に残る一服の憐憫
Aさんの状況を知る私には、そういう風にしか受け取れないメッセージ。

Aさんを苦しめる原因は、大きく4つ。

Aさんはここ十数年、働いていない
。身体的、精神的な健康状況を理由として。
生まれてこの方実家暮らし、高齢の片親と。
結婚はしておらず、友達付き合いもない
。 
更に、最近は健康上の不具合が見つかり、物理的に家に、精神的に内に篭り続けている。天の岩戸から出てくる気配がない。

1点目:仕事
Aさん自身も歳を重ね、何か新しいことを始めたり、チャレンジしようとしても世間から受け入れてもらえないのも事実。
もう先が見えない。
私だって、30代中盤になり『未経験で何かを始めたいです!』と目を輝かせて叫んだところで、虚しく響くだけだと実感している。
この仕事の溢れるTokyoですらそうなのだから、何にもない田舎で、ツテも経験もないその人はもっと打ちひしがれるのは理解できる話だ。只々恐ろしい。

2点目:頼っている精神的支えである親
Aさんの親も年々歳を取っていき、百まで生きるとしても、あと十年そこそこ。
頭はしっかりしているとは言え、身体は当然衰える。
やがてくる老々介護も将来に暗く想い影を落とす。
そのことも、Aさんを不安へと不安へと駆り立てる。より臆病に、臆病に。

3点目:家族以外の社会
内気なところもあり、自ら進んで外に出ていくタイプでもない。
働いていないので会社での人付き合いはない。
色々な引け目もあり人と接したくもならないのだろう、友達もいない。
結婚していないということも自分自身のプライドが許さない。
客観性を持つ、外部から情報をくれる話相手もいない。
世界は家族、家族は唯一の世界。

4点目:身体の不具合
ここ最近は加齢もあり、身体の調子が悪いことが多い。
元々病院嫌い。
身体の不調は怖い、だがその原因を知るのも怖いし、病院も怖い。
回復しない体調と、『死んでしまうかもしれない』という不安。
合わせて『どうして私ばかりこんな目に』という堂々巡りのアイデア
身体も心も不具合を起こし始めてドツボにハマっている。

それが今の状況。

過去〜Le passé〜

私が知っている範囲での、Aさんの過去。
全然知らないトラウマの根っこがもしかしたらあるのかもしれないけれど。

Aさんは兄弟姉妹が多く、子育てに追われる親を見ながら、破天荒に生きるきょうだいを見ながら、そんな風にならないよう、我がふり直そうと臆病ながら地道に生きてきた。

だからなのか、
Aさんの親が言うに、『あの子は昔から何も欲しがらない、今も何か買ってあげようと言っても、要らないと断る。』そんな幼少期だったらしい。
親としてなんだか歯痒そうに語っていた。

恋愛経験は少ないようだった。過去にはいい話もあったようだが。
ただ断片的な話を聞くに、親や破天荒なきょうだいと言った家族の問題などもなり、結実しなかった可能性がある。
諦めざるを得なかったのかもしれない。

仕事はというと、就職して真面目に働いていた会社が潰れたり、事業縮小でリストラされた経験が数回ある。
運によって翻弄され、自分自身が真面目に働いてもどうにもならず、段々と心を折られていった。
側から見ていても、可哀想だ。不運。

視野狭窄〜La vision tunnel〜

バッドラックが続いてしまったとしか言いようのない過去。
病気や老化により思い通りにならなくなる身体。
歳を重ねるにつれて新しいものへの適応が難しくなる頭。
世界は家族だけ、外界からの刺激をシャットダウン。
運の悪さが続き薄れていく気力。
幼少期から身につけた我慢強さにより消失した自分の欲望。

今現在、Aさんの生活は、
他人と接さず、頭も身体も使う機会がないが時間は有り余っている状況。
そんな余暇にぐるぐると『自分自身に降りかかる不幸』若しく『ぼんやりとした幸せ』について考え続けた。

その結果、Aさんは『周りは誰も私を助けてくれない』と絶望し、外界との接続を遮断した。
そうして、人の言葉に耳を傾ける力を失った
昔は割と話が通じた私の言葉ももう届かない。

ここ十年ばかり、手紙でも口頭でも『私は不幸だ、幸せになりたい、辛いことが多い、病気になり辛い、お前は幸せになれ』としか言わなくなった。
もう猪突猛進で視野狭窄な状態。危険域。

私の幸せを願ってくれていることに疑いの余地はない。
だが、それ以上に『私は不幸だ、私は辛い、私に怖い、私は、私は、私は、、、』という禍々しい怨念にも似た想いがそこにある。

そしてそれがAさんの手紙の本旨だ、確実に。

拒絶〜Le rejet〜

他者や外界を拒絶し、『辛い、悲しいという地獄』に引き篭もってしまってから、
他者からあーだこーだアドバイスされても、それが第三者から聞いて的確であっても、A Aさんは『五月蝿い』と怒るか、泣いてしまって他者を寄せ付けないようになった。

こうなってしまうと、もう親族誰も何も言わない。
Aさんは『腫れ物』になってしまった
怒らせたら、泣かせたら面倒だから、触らぬ神に祟りなし。
一緒に住んでいる年老いた親も、Aさんのきょうだいも。

私は思う。
Aさんは、段々と『不幸が板についてきた』な、と。
それは世話をしてもらった私とすると、とても残念で、どうにかしてあげたい問題。
だが、Aさんは、『私は不幸である』と自分に言い聞かせ、ハッピーじゃない私が心地いいのだからどうしようもない。
自分が不幸だと信じ続けた故に、自らの不幸を嘆いている状態が心地良くなっている外観に自ら気付かない
浸りたいのだ、もっと目を向けたくない何かがあるのだ、きっと。

共感〜L’empathie〜

自分が何が欲しいか、何をしたいか、何が好きで何が嫌いか、幼い時から主張せずに、意思を我慢してきた人間。
自分で選んだ訳ではない、運の悪さにしてやられ、無気力になっていった人間。

私にも思い当たる節がある。それに近い人生だったから。
欲しいと望んでも貧乏、やりたい放題やっても結局周りに迷惑をかけるし、結局自分に跳ね返ってくる。
何もできない。

そう考える内に自分に価値があると思えなくなり、本質的に好きなものが見えなくなって、そのうち自分の内側には何もなくなってくる。

そう言えば、Aさんはよく『欲しいものは何もない、やりたいこともない』と遠い目をしながら呟いていた。
環境や運が悪いばかりに、努力の仕方が分からなかった/報われなかったばかりに、虚無になった。
へし折られ過ぎて、自分の意思が磨耗して消えた。

少しばかり気弱で、だが優しいが故、他人を投げ捨てて自由気ままに生きてこれなかった人だから。

私がAさんに何かプレゼントをあげようとしても『自分だけ貰って悪い』とよく言う。
宝くじが当たったらどうするかと聞いたときも『自分だけじゃ悪いから、親やきょうだいも色々助けてあげたい』と寂しそうな顔をしながら言う。

自分のことを一番に考えていない、そういう印象。
それは昔からずーっと、自分を殺して我慢してきたから、身体に染みついた悪癖
自分ファーストができない、欲望を解放する許可ができていない。

変化〜le changement〜

言葉でも、行動でも、何をどうしても、人を変えることはできない
そんなのは、私が愚母を変えられなかった経験からよーく学んだ。
人が人を変えるのは無理、自分で変える、それか理由なく勝手に突如変わるだけ

きっと、Aさんは、今直近で悩んでいる身体の不具合が治ったとしても、そのラッキーさには目を向けず、別の自分のアンラッキーを拾いに走るだろう。

そうやって集めたアンラッキーに没頭することで、何から逃げたいのだろう?
何を恐れて、何を拒絶したいのだろう?

私も、歯を食いしばって生きた幼少期を、大切な宝箱のように扱っている節がある。
嫌で嫌で堪らない癖に、大切に。大切な不幸。
しかも、その悲劇を抱きしめ続けても光差す出口に向かわないと知りながらも、他人からそう指摘されると『お前に何が分かるんだ、軽い口聞きやがって!』と怒りが湧いてくる。

辛いから、恥ずかしいからと人に打ち明けずにひっそりと、しかも、しっかりと握り締め続けていればいるほど、プレシャスな宝物に感じてしまう。
錯覚なのに。後生大事に取ってないで、白日の下に晒せば肩の荷が降りて楽になるのに。

そこに気づくには、自分を俯瞰して見るやや冷淡な目線が必要なのに。
まだ、Aさんは自分の不幸に没頭し続け、精神と肉体をすり減らしている。

救済〜Le salut de l'âme〜

私は、Aさんに毎日気楽に生きてほしいと願う。これからの人生、まだ長い。
別に労働の喜びや、恋愛のときめき、贅沢での優越、社会的価値をどうこう考えなくてもいい。

過去とか、将来とか、もう要らない。目の前の生活に集中するだけでいい
体調が良くなり、ご飯を食べてよく眠る、後は笑えることがあればそれで良いと思う。
それが、魂の救済じゃなかろうか。

運が味方せず悪いカードを引き続け、落ち込み、足元に咲く花が見えない。
なぜって、自身のキャパを超えて我慢し尽くし、自分の希望や意思が分からなくなり、自分自身が喜ぶことをする許可を自分に与えることができなくなっているから。
これまでも、これからもしたくない我慢が死ぬまで続くと勘違いし、不幸しか考えられなくなっているから。

私は、自分自身に言い聞かすように、Aさんに伝えたい。占い師のように。
まず、その状況はあなたのせいではない
けど、あなたは不幸に浸っているのも事実

あなたは、あなたの不幸に没頭し過ぎて周りが、自分が、よく見えていません。
不幸が怖い癖に、怖くて防ぎたいがために、暗闇ばかり目を凝らして見つめています。
遂には、そこにはないものまで見えると言い始める始末。
もはや妄想。

そんなあなたの斜め上に、メタなあなたが現れることを祈ります。
ふと我に返ってみてください。

メタなあなたは、あなたに厳しいツッコミを入れてくれます。
お前が見つめるべきは、過去の出来事や未来の不安なんかじゃなく、今だけ。起きてもない嫌なこと想像してメソメソしてんの時間の無駄だよ』と。

なるほど〜Je me suis rendu compte〜

そしてこの日記を書いていて気付いた。
私は母だけでなく、お世話になったAさんのケアをも、無意識のうちにしていたのだと。
そうだ、幼い頃からずっと、Aさんは自身の不幸を嘆いていた。ここ数年はもっと悪化しているけれど。

悲痛な、辛い辛いという手紙を、言葉を、Aさんは私にしかぶつけられない。
他の親族は相手にしない/理解できないから。
年老いた親に言い続けるのもAさん自身も辛いから。

私は、ときに励ましたり、一緒に嘆いたり、冷静な対処法を伝えたりしていた。
解決策のようなものを提示すると、『あなたは冷たい、そうは言うけど』などとピシャリと心のドアを閉められることもあった。

私にできることは限られている、し、ただ意見を言わずに話を聞き続ける訳にもいかない。
Aさんの嘆きを聞き続けると、こちらも嘆きの海に溺れてしまい、共倒れ。

私にできることは、ただ祈り。非科学的だが。
メタな自分を生み出すきっかけになる縁や、偶然の運をどうか手にしてほしい。
縁や運からくるチャンスを、その前髪をどうか勇気を持って掴みますように、と。(続く)